三島由紀夫 作詞『起て! 紅の若き獅子たち』
五十回忌を迎える三島の
最後にうたった歌が不可解なのだ
86時限目◎音楽
堀間ロクなな
三島由紀夫がみずから創設した民兵組織「楯の会」のメンバーの学生4名とともに、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ、東部方面総監を監禁して、自衛隊に決起を促す演説を行ったのち、45歳にして割腹自殺を遂げたのは1970年11月25日のことで、間もなく五十回忌を迎えようとしている。その年の建国記念日に、三島は「楯の会の歌」として作詞した『起て! 紅の若き獅子たち』(越部信義作曲)を学生たちと合唱して録音し、それは『決定版 三島由紀夫全集』第41巻所収のCDで聴くことができる。
夏は稲妻 冬は霜
富士山麓に きたへ来し
若きつはもの これにあり
われらが武器は 大和魂
とぎすましたる刃こそ
晴朗の日の 空の色
雄々しく進め 楯の会
わたしはかねて不可解なのだ。まったくもって陳腐でしかないこの言葉の連なりはどうしたことだろう。辞世の「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」にも同じものを感じるのだけれど、これがあの処女作『花ざかりの森』から遺作となった『豊饒の海』四部作に至るまで、日本語の彫琢のかぎりを尽くした作家の所産だろうか?
実は恥を忍んで告白すると、わたしは大学生のころ、三島のきらびやかな文体に憧れて『金閣寺』をすべて原稿用紙に書き写したことがある。それも終始、背筋が震えるような感動を味わいながら……。あの若年の心酔はもはや遠いにしても、いまだに三島の文章に触れるとざわざわと胸が騒がずにはいられない。それだけに、「楯の会の歌」や「辞世」が腑に落ちないのだ。三島が人生を賭して辿りついた思想と行動の是非を問うつもりはない。そこから紡ぎだされた詩歌の空疎さを問いたいのだ。だって、せいぜいが甲子園球場で流れる校歌のたぐいじゃないか。
自決の1週間前、三島は東京・馬込の自宅で文芸評論家・古林尚と対談した。その音声記録が『全集』とは別にCD化されて、いささか疲労を滲ませた口調でこんな発言が残されている。「日本という文化を知っている人間は、おれのジェネレーションでおしまいだろうと思うんですよ。日本の古典の言葉がからだに入っている人間というのは、もうこれからは出てこないでしょうね」――。わたしもいつしか三島より15年も長く生きてしまい、それに免じて敬服措くあたわざる作家に物申させてもらえれば、日本の古典の言葉とは、万葉集以来の詩歌にうたわれてきた「言霊」が核心のはずで、だとするなら、三島はおびただしい作品で華麗な文体を駆使しながらも、ついにそうした「言霊」とは出会えなかったということではないか。それこそが三島にとっての最大の悲劇だったのではないだろうか?
いまだに日本では公開されない禁断の映画、ポール・シュレイダー監督の『MISHIMA』(1985年)は、緒方拳が扮した三島によって最後の一日を克明に再現している。そこでも描かれたとおり、車に乗って市ヶ谷駐屯地へ向かう道すがら、三島が学生たちと声を張り上げてうたったのは『起て! 紅の若き獅子たち』ではなく、高倉健主演のヤクザ映画の主題歌『唐獅子牡丹』だった。