暗い中を歩いて光を得なくても、 なお主の名を頼み、 おのれの神にたよる者はだれか。
あなたに平安がありますように。
台風が来ていたのですね。
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暗い中を歩いて光を得なくても
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あなたがたのうち
主を恐れ、
そのしもべの声に聞き従い、
暗い中を歩いて光を得なくても、
なお主の名を頼み、
おのれの神にたよる者はだれか。
イザヤ50:10(口語訳)
カトリックの聖人に十字架のヨハネという方がいます。
ルターらの宗教改革がヨーロッパを揺るがせたころ、
カトリックの中でも自己改革の運動が現れるのですが、
大テレジア、十字架のヨハネらによるカルメル会の活動もそのひとつでした。
十字架のヨハネは一貫して「無」を説きます。
十字架のヨハネ自身は、主以外のあらゆる慰め、あらゆる支えを払いのけ、払いのけ、
その生涯を純化し、生前のかねがね望んでいた通り、最期は
「ぼろ雑巾のように、だれも寄り添うものなく」
一人で去っていったのでした。
十字架のヨハネの周りで、さまざまな奇跡が起こりますが、
それをヨハネは良しとしませんでした。
祈っている最中に、体が空中浮遊しそうになると、
自分で体を壁にぶちつけ、宙に体が浮き上がらないように抵抗するのでした。
人からの慰めはいうまでもなく、霊的な慰めも捨てていきました。
内的慰めがなく、神の臨在を感じられない、そんな無味の空虚な心の状態を
「信仰の暗夜」
と呼び、この「暗夜」でこそ、人はより神に導かれてゆくのだと教えます。
私自身は、日々の念祷のうちに
天来の内的な慰めによって、支えられ、一息つきながら歩んでいます。
悩みがあっても、だれ彼に慰めを求めなくても、念祷で待っていれば、
必ず、うちに安らぎが来ますが、
これはある意味、楽ですよね。
実際、他で慰めを得ている世の人よりずっとずっと楽なのです。
この慰めを経験した人は、もう人のかりそめの慰めなど求めに行く気にもならなくなります。
でも、この内的慰め、内的うるわしささえも、期待しないで進む歩みというものを
十字架のヨハネは指し示しているようです。
少しずつ、以前のような劇的な精神面の回復をもたらす霊的体験は減ってきています。
真っ白な光に包まれ、この世のすべての出来事が下方に洗い流されていくような精神の飛翔や
臨死体験の報告にあるような、自分を害する人も含め、すべての人と兄弟姉妹なのだという内的な実感体験や
周りの困難な状況はまったく変わっていないのに、一瞬にして、心の暗澹とした状態が、軽やかになり、えもいえぬうるわしいもので満たされる体験など、
それらの体験は信仰の道を歩むにしたがって、数も、濃度も、自分自身のそれの招来を求める欲求も
少なくなってきています。
(以前の私は、それこそが、霊的求道の核たる目的と思っていました(もちろん、いまは違いますが)。
アブラハムの懐、天界の高みに引き上げられたのは、
あの金持ち(御言葉の真理を豊富に持っている人のことを現しています)のようになれたらどんなにいいかと願いに願って、
でも、ついに生涯なんの慰めも与えられなかった乞食のラザロでした!)
でも、やっぱり、内的な慰めを期待してしまっているのは変わりません。
いまの私は、やがては、
少しずつでも、十字架のヨハネのように、その慰めにさえも重きを置かずに、
無味で、悟性にとっての支えを持たない状態でも、
祈りに進み、主に求めていくという精神に導かれていかなくてはならないのだと
こころの隅で願うのが精一杯です。
大いなる疑いの中にいるときほど
主が近くまして、私たちを取り扱ってくださっているときはありません。
そんなとき、私たちの意識としては、
そんなとき、神の気配の片鱗も感じらず、
神から見捨て、たった一人ぼっち、なんの救いの望みもない
というふうにしか感じられません。
そう、
イエス様の十字架上での末期に、
主が挙げた叫び、
「わが神、わが神、どうして、私をお見捨てになったのですか!」
という主の最後の最後に残った人間性の意識からの言葉です。
ここにまで追い込まれ、「もうなんにもわかりません」という状態で、
祈りもできないようなその状態から、「それでも」
「主よ、霊を御手にゆだねます」
との祈りにならない祈りによって、主は、ご自身の肉体にまとった人性のすべてを
聖化されたのでした。
孤独なときほど、
疑いに覆われて、祈りさえ出てこないようなそんなときほど、
主は、私たちに近く、近く寄り添っておられるのです。
このことは確かなことです。
主の臨在は、いつも、十字架の下にあるのですから。
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「 固く信ぜよ!
君がため最善が定められていることを。
時が来れば、
主の助けは、図らずも君に襲いかかってくるだろう。」
カール・ヒルテイ
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