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「宇田川源流 日本万歳!」 「おもてなし」ということがさまざまある日本はその歴史の深さを各国に感じさせる

2019.06.30 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 「おもてなし」ということがさまざまある日本はその歴史の深さを各国に感じさせる

 とにかく、日本の良いところを探して皆さんにお伝えし、日本をほめまくる「日本万歳!」の日になった。この文章はなかなか調べることもあるので、かなり書くのに大変なのであるが、一方で書いていて誇らしい気分になるし、自分でも気づきが多いので、なかなか面白い。

ところで皆さんは「おもてなし」という言葉を聞いたことがあるであろうか。オリンピック勝利の時の滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し。おもてなし」はなかなか印象が深いところがあるのではないか。

「おもてなし」の語源は様々ある。

・「もてなし」の語源は「モノを持って成し遂げる」

・「おもてなし」のもう一つの語源は「表裏なし」

・「おもてなし」は「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉

・「もてなす」は「扱う」ことを強調する場合に使う言葉

 この四つが代表的に言われている。まあ「もてなす」を丁寧に言って「お」がついているといえば、「物をもって成し遂げる」ということかもしれないと思う。しかし、

「もて」には二つの意味があります。一つは「手で持って・・する」「手を用いて・・する」。もう一つは「意識して・・する」「心で大切にして・・する」。何となく行うことではなく、意識的、意図的、また心ひかれて、あるいは故意になど、主体がそれと意識して行為することを表します。

「なす」は漢字で書くと「為す」「成す」「生す」。人為的に力を加え、積極的に働きかけることによって、これまでになかったものを存在させることを意味します。また、すでに存在しているものに働きかけ、これまでとは別のものに変化させる意味を示すときにも使われてきました。

「もて」と「なす」を一つにまとめると、「意識的に何かを行い、ある状況をつくり出す」ことです。

当然に作り出すということは、相手の立場をおもんばかりそのうえで、しっかりと自分のことを表現できるということあ必要であり、もてなすという「古語」には「ものの使いぶり。使い手の人柄を反映するものと捉えられ、心ある上手な用い方のこと」「人柄、人格が反映される態度や身のこなし、振る舞いやものごし」というような「相手の視線を意識した言葉の意味」が入っているのである。

こちらの自己満足ではなく常に「和を以て貴しとなす」という考えがしっかりしているのである。ではその「おもてなし」ができたのであろうか。

G20 文化行事と夕食会でおもてなし

 28日開幕したG20大阪サミットは、初日の討議が終わり、各国の首脳らを歓迎する文化行事として狂言やピアノ演奏などが披露されたのに続き、夕食会が催されました。

 日本で初めての開催となるG20大阪サミットは28日、大阪 住之江区の国際展示場「インテックス大阪」で開幕し、各国の首脳らは、世界経済や貿易、技術革新などをめぐって討議を行いました。

 午後4時すぎに、技術革新をテーマにした2つ目のセッションが終わり、初日に予定されていた討議は終了しました。

 各国の首脳らは、大阪 中央区の大阪城公園の中にある大阪迎賓館に移動し、午後8時前から歓迎の文化行事が開かれ、狂言師の野村萬斎さんによる狂言や、ピアニストの辻井伸行さんの演奏などが披露されました。

 続いて各国の首脳らは夕食会に移り、安倍総理大臣は、「ようこそ大阪にいらっしゃいました。私たちはきょう1日、十分仕事をしたので、ゆっくり食事を楽しんで頂きたい」とあいさつし、乾杯の発声をしました。

 夕食会は、午後10時すぎに終わりました。

 G20大阪サミットは、最終日の29日、世界的な格差への対処や、気候変動を含む地球環境問題などについて討議が行われる予定で、世界のGDPのおよそ9割を占めるG20が、世界経済の持続的な成長に向けて結束を示す力強いメッセージを発信できるかが焦点となります。

2019年6月28日 20時48分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190628/k10011973951000.html

 6月末にG20先進20か国首脳会議が行われた。会議の内容に関しては明日以降また別なことで出てくることになるが、今日の「日本万歳!」ではその中のおもてなしに注目したい。

さて「各国の首脳らを歓迎する文化行事として狂言やピアノ演奏などが披露されたのに続き、夕食会が催されました。」<上記より抜粋>

単純に「狂言」という日本らしい文化と、ピアノ演奏という洋風の接待、これを組み合わせるというのはいかにも人の文化らしいやり方である。一つ一つを見れば「日本と外国の文化の陳列」のように見えるが、そもそも日本の文化は外国の文化を多数取り入れ、その中に日本らしさを残してそれまであった文化を融合して行うものである。そのように考えた場合、実は「狂言とピアノが一つの接待の中に混在する」ということが、実に日本らしい。日本の文化を受け入れなおかつ日本の文化にすべての国の文化が入っているかのように感じることこそが、もっとも重要なおもてなしなのである。

 次に「ようこそ大阪にいらっしゃいました。私たちはきょう1日、十分仕事をしたので、ゆっくり食事を楽しんで頂きたい」とあいさつ<上記より抜粋>というこの安倍首相のあいさつも非常に日本らしいではないか。仕事と遊びを分けるということもそうであるし、また食事をゆっくりと楽しむということも非常に面白い。同時に「大阪の接待」というのが面白いのである。

日本には、当然に「皇室」「貴族」「武家」「商業」「農家(農業庄屋)」「庶民」という別々な階級というか、そのうち完全なものではないにしても身分とか出生に伴った内容があった。その中に、様々な接待の流儀があり、また「分をわきまえた」やり方があったということになる。つまり、日本の2700年に近い大和朝廷の文化の中において、その中で制度として決められたものではない自主的ともいわれるような「身分」があり、その「身分」の中に「身分をわきまえた」おもてなしの方法がある。

庶民などが貧しければ「おもてなし」はできない。逆に言えば、大阪流、京都風、田舎風というような感じでおもてなしの方法に様々な方法があるというのは、まさに、日本の歴史と文化が非常に長く培われた様々な階級における文化があり、その文化がお互いに交流し、なおかつ一体化していた日本の姿を現しているのである。同時に、その内容は、どの階級でも他の人をおもてなしすることができるほど「生活に困っていなかった」ということを意味しているのである。単純に裕福であったまではないが、少なくとも他人を招いておもてなしをするだけの余裕があり、その余裕が日本の文化を作り現在に様々な「おもてなし文化」を作ってきているということを意味している。

まさに、そのような「すべての階級に余裕があった」「貧困とか奴隷とかはほとんどなかった」ということが、もっとも日本の素晴らしいところであり、「様々な階級のおもてなし方法を世界に見せる」ことによって、そのことが世界に見えるのである。

ああ、なんて日本は素晴らしい国なんだろう!