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ダンス評.com

ディミトリス・パパイオアヌー「The Great Tamer/ザ・グレート・テイマー」彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

2019.06.30 12:52

2004年のアテネ・オリンピックで開閉会式の演出を行ったディミトリス・パパイオアヌーの初来日公演。ダンスや演劇といった枠組みを超えたパフォーマンス。

パパイオアヌーは1964年にギリシャに生まれ、アテネ美術学校で美術を学んでからダンスに出合い、舞台作品の創作を始めたという。「偉大な調教師」という意味のタイトルの本作には、西洋美術(特に絵画)のイメージが随所で見られる。同時に、宇宙飛行士も登場し、数百年を隔てたものたちが舞台上で出会う。その世界は、私たちが夢の中でだけ実現できる、理屈が通用しない、時空間の概念が効力を失う世界だ。

開演前から舞台にいたパフォーマーの男性が、開演後、服を脱いで全裸になり、舞台に横たわる。舞台上にはなだらかな丘のような構造物があり、表面の薄い板のようなものをひっぺ返すことで、下から人が現れたり逆に人が下へ吸い込まれたり、水が出現したり、土が出てきたりする。横たわった男性の全身に別の男性が白い布を掛けるが、また別の男性が、床の上にある構造物の薄い板のようなものを1枚剥がして勢いよく床に落下させ、その動作で生まれた空気の動きが布を舞い上がらせてしまう。先ほど布を掛けた男性が戻ってきてまた同じ布を掛けて横たわっている男性の全身を隠すが、またさっきの男性がその布を風で剥がしてしまう。これが何度か繰り返され、行為の間隔がだんだん短くなっていく。

パパイオアヌーはピナ・バウシュの没後初めてヴッパタール舞踊団に招かれて新作を振り付けたという話を聞いていたせいか、行為の執拗な繰り返しに、ピナの「カフェ・ミュラー」を連想した(公演パンフレットに掲載されているインタビューでパパイオアヌーは同作を見たときの衝撃を語っている)。何度隠しても暴かれる嘘(うそ)。ないことにしたくても存在を主張する何か。全裸という無防備な姿と相対立する行為の繰り返しの中から、暴力性と同時にユーモアが浮かび上がる。

西洋美術でおなじみの、ヴィーナス、アダムとイブ、キリストの十字架磔刑、ピエタ(死んだキリストを聖母マリアが抱いて嘆く図像)、天空(地球)を支えるアトラス、ピグマリオン、本に頭蓋骨が載ったヴァニタス(全てのものは死ぬという教訓)の静物画、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」、ゴヤの「砂に埋もれる犬」などと思われるイメージが引用・借用されている。

全体的な作品の印象として、パフォーマーの動きのゆっくりとしたテンポなどが、ピーテル・ブリューゲルの絵「ゴルゴタの丘への行進」を実写とCGで再現した2011年の映画『ブリューゲルの動く絵』も連想した。

舞台の手前で全裸の男女が腰の辺りで絡まって接続し、一緒に転がりながら移動していき、舞台奥では他のパフォーマーたちがたくさんの矢のようなものが床の構造物に突き刺さっているのを稲穂のように「収穫」する(19世紀の画家ミレーの「落穂拾い」のようだ)場面は、かなりシュール。「生の営み」を表しているのだろうか。

3人が組み合わさって、上半身、片脚ずつをそれぞれのパフォーマーが担い、担当以外の身体の部位を黒子のように黒い衣装で包むことで、1体の身体を創出するといった演出が複数回登場する。その組み合わされた身体は関節の角度に違和感を覚えさせ、のちに「身体がバラバラになる」という演出が成される。演出家の発想とそれを巧みに実現するパフォーマーたちの技量には感心するが、見ていてあまり気持ちのいいものではなく、身体がバラバラになる「トリック」も、それがどうした?と思ってしまった。

組み合わされた身体は人形のようにも見え、シュルレアリスムのアーティスト、ダリの絵も思わせるが、子どものころに両足を切断し自身のポートレートなどの作品を発表しているアーティストの片山真理氏や、金滿里氏主宰のパフォーマー全員が身体障害者の劇団態変など、「生身の人間」も連想してしまう。パパイオアヌーの身体の扱い方は私にはできないもので、したいとも思わない。「普通の」発想ではできないことをしているから「すごい」となることは分かるが、好きか嫌いかはまた別の問題であり、それは単なる「趣味」以上の問題かもしれない。

本作が観客に与える強い印象は、パフォーミングアーツだからこそのものなのだろう。しかし個人的には、これと同じくらいかそれ以上の衝撃を、たった1枚の絵から、1冊の小説から、受けたことがある。絵画なら例えば、ポール・デルヴォー、ギュスターヴ・モロー、 クラナッハ、カラヴァッジョ、戯曲ならシェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』などが、本作が創出している世界と少し重なるように思った。感受性と想像力は、芸術作品を起点にして広大で摩訶不思議な世界へ連れていってくれる。パパイオアヌーの本作ももちろんそうだが、他者の夢の中へ一方的に引きずり込まれたような居心地の悪さも感じた。見ている私が警戒心を持ってしまい、作品の中へ飛び込めなかったのが原因かもしれない。


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世界初演:2017年5月24日、オナシス文化センター(ギリシャ・アテネ)


コンセプト・ヴィジュアル・演出:ディミトリス・パパイオアヌー(Dimitris Papaioannou)

音楽:ヨハン・シュトラウスII「美しく青きドナウ」

パフォーマー:パヴリナ・アンドリオプル、コスタス・クリサフィディス、ディミトリアス・キツォス、イオアニス・ミホス、イオアナ・パラスケヴァプル、エヴァンゲリア・ランドゥ、ドロソス・スコティス、クリストス・ストリノプロス、ヨルゴス・ツィアンドゥラス、アレックス・ヴァンゲリス


2019年

6月28日(金)19:00 開演

6月29日(土)15:00 開演

6月30日(日)15:00 開演

約95分(途中休憩なし)


S席 一般前売 6,500円 / U-25前売 3,500円(当日券各+500円UP)

A席 一般前売 4,000円 / U-25前売 2,000円(当日券各+500円UP)

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