春の嵐3-教皇軍誕生イタリアさらに混乱
2019.07.01 11:13
仏軍の侵入はイタリアを混乱に陥れた。メディチ家が追放された後のフィレンツェは、富裕層と庶民が対立した。その中でリーダーとなったのは、サンマルコ修道院長にしてカリスマ説教師、サヴォナローラだった。彼はこれまでの物質的欲望に満ちたフィレンツェを批判し、彼の預言による神権政治が行われる。
ヴァチカンはといえば、なんと軍を持つことにした。これまでヴァチカンは何回となく侵攻されている。その都度、教皇は、武力は持たず、その権威と政治力だけで、その地位を守ってきた。しかし今回の大軍は論外だった。とはいえ、教皇が軍を持つことで宗教的権威を自ら放り投げたといえる。
彼はリアルな政治家だった。むしろありすぎたあまり、教皇の宗教的権威を地に落としてしまったといえる。教皇には3人の息子、1人の娘が居た。長男チェーザレは、ヴァレンシア枢機卿となり、父の後を継いで宗教貴族となる予定だった。次男ホアンは、世俗ガンディア公爵となっており、彼が教皇軍総司令官となった。
フィレンツェの没落で利を得たのは、ヴェネツィアとミラノだった。ヴェネツィアは、フィレンツェのルネサンス文化が移植され、さらに華やかなヴェネツィア派文化を咲かせることになる。そしてミラノの僭主ルドヴィコは、見事仏王シャルルから神聖ローマのマクシミリアンに入れ換わり、隆盛を極める。何のことはない、フランスが去ってさらにイタリアは混乱したのだ。
下はドラマ「ボルジア家」より教皇軍を指揮するホアン・ボルジア