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「宇田川源流」 下着に「KIMONO」と名付けるアメリカ人タレントの「文化に関する認識の違い」と日本人に対する「文化発信力の貧困」

2019.07.02 22:00

「宇田川源流」 下着に「KIMONO」と名付けるアメリカ人タレントの「文化に関する認識の違い」と日本人に対する「文化発信力の貧困」

 G20の話をしないというと本当になかなか良い話がない。まあ、来週その話はしっかりするとして、今回はそうではない話をしたいと思う。

ところで、皆さんは「日本の文化」に誇りを持っているのであろうか。

このように質問をされて「日本の文化」ということをしっかりと認識しなおかつ他人に説明できるような状況になっているのであろうか。「日本文化」問う単語を使うことはあっても「何が日本文化なのか」ということをうまく説明できないのが日本人の特徴である。そのために「日本文化」ということに関して日本人個人個人によってその文化の定義が全く異なるし、またその文化の伝達方法も異なる。

これが「個別の技術」に関しては、そのことに携わっている人は皆出来る。今回の記事にある「着物」であっても「着付け」や「西陣織の職人」などはその自分の分野に関して、ほかの日本の文化などと比較して何が特徴であるのかを話することができる。しかし、全体を俯瞰的に、「日本文化とは」というようになり、なおかつ「その全体の日本文化の中で、着物文化がどのような位置づけで、その中で西陣織はどのような状況にあるのか」ということが全く説明ができないということになるのである。

つまり「全世界と日本の違いの比較文化」「日本文化の全体の俯瞰図」「日本文化の俯瞰図の中での自分たちの位置づけ」ということができていない。そのために、日本文化と漠然と言われて何のことか見えてこない人があるのである。

同時に、日本の場合は現在も官僚組織が縦割りであることから、その文化と文化の関係性をうまく説明できない。例えば「着物文化と食文化の関係性」がうまく説明できない。なぜ日本食では器を持ち上げて食べるのか。それは、着物文化である衣装を汚さないため。ではなぜ衣装を汚してはならないのか、それは、十二単などでだ評されるように「髪」「和歌」「衣装」が美の基準であったことから、衣装を汚すことは家名や家柄、自分の品位を落とすことにつながるからである、というように、食文化と衣装の文化が密接にかかっているにも関わらず、その総合性を説明できないのである。

そして、そのような欠点がありながら、日本の官僚組織はそのことの、つまり「全世界と日本の違いの比較文化」「日本文化の全体の俯瞰図」「日本文化の俯瞰図の中での自分たちの位置づけ」ということができないという欠点の解消を行うことをしないのである。まあ、日本の官僚の「怠慢な仕事ぶり」によって、大きな事件が起きることになる。

下着名称に「キモノ」、京都市が反発 米社に文書送付へ

 「きもの」を独占しないで――。米国の有名タレント、キム・カーダシアンさんが自ら立ち上げた矯正下着のブランド名を「KIMONO(キモノ)」にし、商標登録を出願したと報じられた問題で、京都市は28日、カーダシアンさんにブランド名として使わないよう求める文書を送ることを明らかにした。

 文書はカーダシアンさんと「キム・インティメイト」社宛て。着物は「日本の伝統的な民族衣装であり、暮らしの中で大切に受け継がれ、発展した文化」とした上で、「名称はきもの文化を愛するすべての人々共有の財産であり、私的に独占すべきものではない」と指摘。ブランド名として使うのを「お考え直しいただきたい」としている。

 京都市は公益財団法人「京都和装産業振興財団」に職員を派遣し、きもの文化のユネスコ無形文化遺産への登録を目指している。

 カーダシアンさんのインスタグラムには1億4千万人を超えるフォロワーがいる。市伝統産業課の担当者は「たとえ商標登録されなくても、カーダシアンさんの影響力を考えれば、下着と着物が混同されるなど、誤解を招くのではないか」と心配する。

 防災訓練など特別な場合を除き、毎日着物を着ている門川大作市長は、朝日新聞の取材に対し、「海外の人からも『着物、ワンダフル』と言われる。カーダシアンさんにも京都に来ていただき、着物文化の神髄を知ってほしい」と話した。(大貫聡子)

朝日新聞2019年06月29日12時17分

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/asahi/nation/ASM6X6T2SM6XPLZB01R

 キム・ガーダシアンというアルメニア系の父とスコットランド・オランダ系の母の間に生まれた、あまり日本文化に対して理解を示さないモデルのことは少し後に話すとして、まずは、日本のマスコミである。このモデルが「KIMONO」という下着ブランドを立ち上げ、商標登録をした。さて、そもそもなぜ日本の和服の業界は「KIMONO」の商標登録を今までしていなかったのかといったことは書かれていない。

同時に、日本のマスコミは、「KIMONO」の下着の何が悪いのか、そのことを指摘していないのである。つまり、日本のマスコミは単純に日本の文化そのものが怪我されたということを全く考えていないし、そのようなアメリカ人が聞いて納得する批判や反論をしていないということになる。あくまでも感情論でしか物事を話していないし、また、その内容に関して全く考えてもいないのである。上記では官僚組織に問題視したが、一方、普段反日、日本を辱めることしかできていない日本のマスコミは、このような時に「日本を擁護する」「日本の文化をしっかりと外国に発信する」ということができない報道機関なのである。本来マスコミが自主的に日本のすばらしさを発信すべきであるが、残念ながら嘘や捏造で日本を辱めることはできても、政党に日本の文化を外国に発信することができないのが日本のマスコミである。

さて、上記に「着物文化は日本人の女性の品位と家柄を示すものであり、そこを通して女性そのものの美しさを示すものである」ということを書いた。実際に、日本の侍の刀が「武士の魂」というように、日本人の女性の着物は、日本女性そのものの美しさや人間性を示すこと、もっと言えば、平安時代以降の日本人女性の魂であるといえる。

もともと日本人は、古くから黄泉の国という神々の世界から様々なものが生まれると考え、すべての命あるもの、それは植物も含め命のあるものすべてに対して神々が宿っていると考えていた。コメに神様が宿るというのは、コメの神様がいて、なおかつその米の神様に水や太陽、雨、土、風、といった様々な神の力が結集してコメができていると考えている。

当然に日本の神々は、姿を見せないし姿を見られることを嫌う。そして新たな命が生まれるのは女性なので、女性そのものも「黄泉の国と体の中でつながっている」と考えられていた。その「体の中でつながっている黄泉の国の力を、男性や一般の人に見られて失わないように」「いつまでも神々の加護があるように」ということで、肌や顔を見せなくしたのである。伊勢物語などで、牛車が突然壊れて御簾が壊れてしまい、庶民に顔を見られてしまった女性が、黄泉の国の力を失ったので結婚できなくなったとして、出家してしまった話などは有名である。

そのような「歴史」や「女性に関する文化」が「着物」という単語の中には含まれているのである。それを、こともあろうに「下着」に名前を付けるというのはいったいどのような了見なのであろうか。もちろん、それなりに文化に敬意を払っているのであれば、その対象物が下着であっても問題はない。しかし、他国の単語を使う場合には、当然にその単語の意味や、その単語にまつわる文化性などをしっかりと学ばなければならないし、そのような「学び」のない他国文化の使用は、そのまま「文化の侮辱」にしかならないのである。

逆に、そのような侮辱をする人は、当然に学ぶ能力がないというような解釈も成立する。のであり、そのような行為に対しては、侮辱が返ってくることになる。そのことを教えなければならないのではないか。