何も伝えられていないかもしれない話。
先日ポリエステル繊維メーカーに伺って、過去のポリエステル長繊維に対しての誤解などが明るみになった。「そもそも編み工場の人たちもその性質を知らない人が多いのではないか?」の僕の問いに「そうだと思います」というポリエステルメーカーの方の答えに、学べた喜びや過去の不可解なトラブルの解が得られてまるでハンマーで殴られたような衝撃と共に、商談中終始眩暈を感じていたのだった。その眩暈に、少々違和感を覚えつつ、その時はそれらの情報に自分の解釈が追いついたため、非常に知識が深まった良い体験だったのだと感じていた。
それはそうと、普段から色々とお世話になっているうにくまさんが「生産トラブルをゼロに!」を掲げ『AYATORI』というサービスを立ち上げているdeepvalleyさんのサイトの中で連載されている『うにくまは見た!』の今回取り上げてくれた内容が、僕の専門分野だったので、少しばかりお手伝いさせてもらった。
今回はTシャツということで、カットソーを取り扱うことを主戦場としている僕は、自分の言葉で語ったのだが、うにくまさんは上手にまとめてくださった。
そう、僕は自分の言葉で語ってしまったのだ。
そして、この記事を読んで
からの、LINOさんから
で、あの時ポリエステルで感じた眩暈の正体がわかった。
なぜ眩暈がしたのか。
僕は、自分の世界で当たり前の言い方をしてしまった。今、僕が講義や発信で伝えている相手は、概ね、普段それらの言葉をコミュニケーション上必要としない人たちで、僕の世界で『当たり前の言葉』が何なのかを知りたい人たちのはず。それなのにわざわざ分かりにくい言い方をしてしまっていたのではないか?ということに対する眩暈だった。
そう言えば春夏が立ち上がる時期に店頭調査をしていて、某国内デザイナーズブランドの店頭で編み込みで前身頃と後ろ身頃が作られたTシャツを店員さんは「特殊な加工で貼り合わせたもの」だと言い張った。僕くらいのテキスタイルジャンキーになると、それが貼り合わせたものか、編みで作られたものかくらいはすぐわかる。
だけどそんなこと、貼り合わせなら洗濯ができるか?という情報以外に、購入者にとってはどちらでも良い情報なのだから、「編み合わせ」だろうが「貼り合わせ」だろうが大した問題じゃない。大事なのは、イケてるかどうかだ。
ところが、そのTシャツを、編み業界で見かけた人たちは「あの発想はヤバい(良い意味)」と持ち上げる。僕も興奮していたその内の一人だ。
そこに一般の人と視点の乖離は否めない。
そういう人たちはどうしても自分たちのレンズで見たものを正義にしてしまう。だから「超長綿だから良いもの」という視点から離れられない。「希少機械だから良いもの」と思いがちだし、「撚糸のトルクを調整する技術がすごいから良いもの」だと営業トークでまくしたててしまう。
これは聞いている人の知識が基礎以上にないと、ほとんど意味を成さない言葉の波をかぶり続けることになる。その意味を成さない言葉の波に付加価値をのせることができると盲信しているが、まったくもって響かない、かぶり続ける内に、人によっては迷惑だと感じる可能性さえある。
まぁ提案に関しては、そもそも相手のことをきちんと考えて資料を収集しているかどうかさえ怪しい人たちも多いので、伝わる言葉どうこうというレベルまで落とし込めるかどうかは、今の所微妙ではあるが、諦めずに工業と商業に向かい合って行こうと思う。
話、脱線してる?
とにかく今は、前提条件が整っている僕が聴くポリエステル長繊維製造の話と、全く無知の人が聴くそれはかなり様子が違ってくる。当たり前だ。
知りたいと思うならある程度は自発的に準備はしてほしいという思いもありつつ、やはり伝わらない言葉で何を伝えようとしても、何も伝わらないのだな。これは色々と見直して発信をしていかないといけないと反省しているところだ。