新しいダンスの在り方
今日はコドモたちのダンスクラスの中で「コミュニケーションワーク」をしました。
オーロヴィルでよくやった身体ワークやヨガワークの前にアイスブレイクとしてやる
心で繋がる感覚を体験するためのワークです。
そうしたら、ダンスが見違えるほどに変わった。
実は、時にコドモたちとコミュニケーション(繋がる)が取れないと感じる時があるのです。
幼稚園の頃はそんなことはなかったのに。
小学校高学年になってくると急にコミュニケーションがとれなくなる。
心からの会話をすることが急に難しくなる。
その子と繋がっている手応えがなくなる。
私の教室の子達は基本的に「人と比べる」という意識がない。
すごく一生懸命だけれど、「人より上手になりたい」と思う子はいない。
一人一人がすごく個性的でユニークな踊り方をする。笑
以前「競技」としての身体表現をやっている子がクラスに来てくれたことがあり
レッスン中も他の子どもの「でき」を氣にして周りを見ながら練習をするのに驚きました。
指導者の意図というものは恐ろしいほどに子どもに伝わる。
それだけ子どもは吸収するし、影響を受けやすい。
どのような価値観にベースを置いた教育に触れて学ぶかが、
どれだけ影響力のあることかということを見せつけられているようでした。
「競技」として動きが点数になるスタイルで学ぶことと、
アートとして「表現」することを目的に学ぶことは
同じような「身体表現」を扱うものでも子どもへの影響の種類が全く違います。
どちらがいいということではなく、
将来どんな世界で生きてもらいたいか、という観点から必要なものを選べばいいと思います。
それだけ、指導する人が「意図」する身体表現、世界観がどんなものであるか、ということは
ダンスの技術という「身体」に働きかける部分よりも、
潜在意識レベルで「意識」に作用し
学ぶ子どもにとって大きな影響を与えるということです。
きっとこれはシュタイナー教育的観点でも説明できることだと思う。
だからクラスの中で何をベースにおくかっていうことはとっても大切な要素だと思っています。
技術だけを教えようとしているのであれば、
子どもたちと心から繋がれないからって別に氣にしなくてもいいことです。
私はダンスの技術を教えるという仕事にだけ徹すればいい。
だけれど、アートとして「表現」することを教えたい、と思う以上
子どもたちの心の状態を観察し、最高最善でない心のブロックをとるというのは大切なこと。
だからレッスンの時間を割いて、そのような意識のワークを取り入れたのでした。
そのワークwp通して氣がついたことが、
子どもたちは学校での教育を通して「話す」「聴く」ということが義務になって来ているのだということ。
「話す」「聴く」の面白さを忘れてしまう。
幼児の頃のように、純粋に「聞きたい」「話したい」「伝えたい」のきもちから話す機会が減っているにだなと。
だから聴くことで「繋がる」喜びの感覚がなくなってしまう。
そういうのがダンスにもまるまる現れる。
あとは、学校の時期的(新学期とか、卒業前とか)なもの、日々の出来事や家族との関係性、
子どもは微妙なエネルギーを感じ取って
心を開いたり閉じたりする。
ダンスクラスを通すと、いろんなことが見えてくるのです。
本番を前になんとか皆の心の状況をケアしようと
「聴く」ことと「話す」ことを一生懸命するワークをしたのです。
そうしたら効果てきめん。
クラスに幼稚園児さんがいたのも、全身で「聴く」「話す」のいいお手本になってくれました。
どうしても人の声に耳を傾けられない子がいたのだけれど、
最後にはその子も少し興味を持って「聴く」ことができた。
深いことはワークショップでしか伝えられないと思っていたけれど、
毎週のクラスを通してもできることはたくさんあるのだと知りました。
教えている立場って、一番たくさん教えてもらえる。
与えているようで、与えれば与えるほど、たくさん与えられる。
ダンスの技術だけではなく、
こどもがこれから生きていくであろう新しい世界の価値観や世界観をベースにおいて
新しい世界を作っていける人たちを育てるために
クラスを展開していこうと強く思います。
やっぱり楽しく強くしなやかに、
本当の意味での智慧を持って、賢く生きていけるようになった方が幸せだから。
そういう未来をつくる新しいダンスの価値を伝えていきたいな。