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一号館一○一教室

イーストウッド監督・主演『運び屋』

2019.07.05 06:12

100歳まで生きようとするのは

99歳の人間だけだ


90時限目◎映画



堀間ロクなな


 クリント・イーストウッド監督・主演の最新作『運び屋』(2018年)の、この台詞には頬をひっぱたかれたようなショックを受けた。



 「100歳まで生きようとするのは、99歳の人間だけだ」



 映画は、NYタイムズ別冊の記事「90歳の運び屋」にヒントを得た、とクレジットされているとおり実話にもとづくものだ。園芸家のアール(イーストウッド)はデイリリーの育種に没頭して、長年家族をかえりみることなく過ごしてきたが、時代の変化についていけず破産し、やむなく麻薬組織の「運び屋」を引き受ける。トラックで長距離を移動しながら、高齢のせいで捜査の網をかいくぐり、回を重ねるにつれ重きをなしていく。そして、1200万ドルという巨額の取引に携わっているさなかに、妻が死に瀕していると知らされ、仕事を投げ出し病床へ駆けつけて告げたのが、冒頭の台詞だ。



 自分だって老い先は短い……。その意味を込めたひと言が、わたしにとって痛撃だったのは、安倍政権のもとでさかんに「人生100年時代」のバラ色の未来が喧伝され、その一方で、老後の年金生活には平均2000万円が不足するとのレポートを慌てて揉み消すといった具合に、眼前の高齢化社会に対して空理空言に馴らされてきたからに他ならない。そもそも、100歳まで生きる意味とは? いまの日本でこの台詞が公けに発言されたら、問答無用で袋叩きに遭うのではないだろうか。



 映画では、妻の最期を看取ってようやく家族の絆を取り戻したのと引き換えに、アールは麻薬取締局に逮捕され、法廷でみずからに「有罪」を宣告する。刑務所の庭で花づくりにいそしむ平穏な姿がラストシーンだ。イーストウッドは『許されざる者』(1992年)以来、自分自身の老いを直視しながら、監督と主演を兼ねた映画制作を行ってきたが、今回88歳でそれを実現したのは世界最高齢記録という。前記の台詞も、そんなかれが吐くから説得力があるのだろう。



 DVD特典のメイキング映像のなかで、イーストウッドは「私は乗り越えなければならない対立を描いた映画が好きだ」と語っている。なるほど、1960年代にマカロニ・ウエスタンで世界的スターとなったかれは、たいていの場合、銃を手にして対立を乗り越える役を演じてきた。そして、監督・主演を兼ねた前作『グラン・トリノ』(2008年)では、相手の銃口を自分に向けさせることで老いの美学を完成して、俳優業からの引退を表明した。それが10年ぶりの復帰となったのは、人生の終盤において乗り越えなければならない対立とはおのれの外側ではなく内側にあることを、身をもって示そうとしたからに違いない。



 この映画のなかで、イーストウッドは老醜をごまかすことなく、むしろ共演の若い俳優たちとの対比により、いっそうぶざまさを強調さえしている。それでもなお、ハリウッド流のヒロイズムがまとわりつくのはやむをえないのだろう。危なっかしい手つきで暴走し、若造には罵詈雑言を浴びせ、夜はグラマラスな女たちと戯れ、稼いだ札束は惜しげもなく撒き散らし、そのためにどれだけの人生を破壊したかなど気にもかけない……。もしイーストウッドがふたたび、みずからの監督・主演で映画を制作したら、そうしたヒロイズムの残滓を払拭したあとに、前人未到の老いの実相が描かれるのではないか、とわたしは期待している。