いなべは、何とも気持ちがいい。
写真は、前に、市内の方と、青川上流の治田鉱山跡を散策しに行った時のもの。全国的にも有名となった「青川峡キャンピングパーク」。実は、その上流には、江戸時代に銀や銅を採掘した鉱山があったのです。その鉱山は、桑名藩のお姫様の化粧領となり、治田は藩にとっても特別な場所で、大変、優遇(管理)されていました。今、治田地区が膨大な土地などの財産を有しているのは、こうした歴史的な背景があります。この鉱山を管理していたのが岡田家。岡田家は山で財をなして、やがて、四日市で呉服商を始めます。岡田屋です。後のジャスコの前身です。また、最後の山師は、五代藍子さん。そうです、あの鉱山王・五代友厚の娘(二女・お妾さんの子どもと言われますが友厚は藍子を認知したいそう可愛がったといいます)さんです。結局、すごい財産をつぎ込んだのですが、治田の山から銀などの鉱脈を発見することができず、藍子さんの死後、治田鉱山は廃坑となりました。
しかし・・・・数年前のすごい、台風豪雨で、上流部で土石流が発生。鉱山跡すらわからないぐらい土砂が溜まっていました。ずっと保存されていた歴史を物語る遺産だったのですが、最近の気候変動による大雨や台風は、計り知れないほど、恐ろしいパワーを持っています。防災意識を高めないといけないです・・・。
ただ、青川の上流部、水も清らかで、心地よい風が吹き、新緑がゆれて、本当に気持ち良い場所。以前の治田のキャンプ場はかなり上流部にあり、地元の小学生もキャンプが恒例であったと聞いたことがあります。今は確かに素晴らしい全国的に有名なキャンプ場になりましたが、地元のこどもたちの夏の楽しみがなくなったのは、少し寂しい気分もします。
台風と言えば、昨年の台風で、私の地元、北勢町飯倉の石神社の鎮守の森の木々が倒木し、社務所を直撃。また、拝殿が風で傾いてしまいました。自治会で話し合い、文化財にも指定されている鎮守の森を危険がないぐらいに伐採することとなり、惜しくもいなべ市内でもっとも古いであろう森林の整理をしました。結果、たくさんの木々が伐採されました。拝殿は建て替えとなり、社務所の屋根も大規模な修理となりました。
そうしたなか、私も会員である市内の木工グループ「いなべ自然楽校(イナスク)」の方が、伐採した木を製材して、飯倉区のためにベンチを作っていただけることとなりました。
上の写真、私の名前がチョークで書かれている木がそれです。現在は、イナスクさんの作業場で乾燥していただいています。
また、まだまだ、広葉樹の伐採林などがあるため、私は、飯倉全戸に配布できる数の、木のお守りを製作したいと考えております。神社の木ですから、何か残るものを作りたい。イナスクの出口代表からいろいろアドバイスも頂いています。
いなべ市は、樹状に広がった員弁川水系に、各集落が点在し、山から川を下るようによい風が吹く山里です。
どこに行っても、とても気持ちがいい。人の歩みもせかせかせず。季節ごとの花々も大変美しい。こうした土地の特製みたいなものの大切さは、生まれ育った人には、空気のようなもので、見えにくいかもしれませんが、こうした、貴重ないい場所が、しっかり開かれれば、人は間違いなく集ってきます。