◇生きる力パートⅡ
今回は、今年の4月18日に書いたブログの続きです。 先ずは、その日のブログをもう一度ここに掲載します。
◇ひとりごと 2019年4月18日(生きる力)
4月16日に、私が学んでいる「大阪松岡会」で、綾部 正哉先生の講演を聴かせていただきました。
戦時中の、満州国で起きた話しで、涙なくしては聞けませんでした。
正哉先生が5歳で、弟さんが3歳の時です。 ロシア軍に追われ、日本に帰る途中に両親とはぐれてしまい、兄弟二人が満州に取 り残されました。 何とか生き延びるために、何でもやって生き延びようとしていたのですが、幼い弟さんは、ついに力尽き、亡くなってしまいます。
知らない日本人のおばさんが、弟さんの毛髪と、爪を切り、お守り袋に入れ「何としても、これを持って日本に帰り、お父さんと、お母さんに絶対に届けなければいけないよ」と、持たせてくれたそうです。
5歳の正哉少年は、その言葉を生きる勇気として、奇跡的にたった一人で日本に帰って来て、両親に再会出来ました。
私はこれを聴き「誰かの一言、誰かの行い」が、その人の人生を変えることがあるな と思いました。 独りぼっちの正哉少年は、どんなに心細く、どんなに怖かったことでしょう。
また、 何度も諦めかけたことがあったと思います…。
その絶望的な状況の中、あの、おばさんの「一言」が、彼の命をつないだと思います。
私にそのような大きな力は無いにしても、出会わせていただいた方々と一緒に「幸せの入り口」を、本気で見つけて行きます。
この覚悟も、今回の講演を聴かせていただいたお陰です。
とても貴重な時間でした。
それにしても、正哉君が、無事にご両親に会えたことを、あのおばさんにお知らせ したいのは、私だけでしょうか?
亀ちゃん
★ここから、今回のお話です。
4月にこのブログを書いたら、しばらくして一通の手紙が届きました。
それは講師の綾部 正哉先生からでした。
そこには、あの話の後日談が書かれてありました。
小学生の時、「どうしても会いたい人」という課題で、そのおばさんのことを作文に書いたところ、賞に選ばれました。
その作文が広く伝わり、広島県の女性から「その人は、私のことだと思う」と、九州の学校まで連絡があり、所在が分かったそうです。
ただ、会いに行くだけの旅費がなかったので、新聞配達のアルバイトを始め、高校生の時に会いに行けて、ついに涙、涙、涙の再会が果たせたそうです。
私はそれを感動の涙で読ませてもらいました。
そしてふと「綾部先生は何で、この手紙を私にくださったのだろう?」と不思議に思い、先生に電話で尋ねました。
すると、宮崎県に私が大変お世話になり、大尊敬をしている水元先生がおられるのですが、水元先生は綾部先生のことも、よく知っておられたのでした。
水元先生が私のブログを読み、綾部先生に連絡をしてくださったとのことでした。
それで、謎が解けました。
すぐに、このブログでそれを書きたかったのですが、綾部先生の2回目の講演が、7月2日に予定されていたので、書くのを待っていました。
7月2日の講演会で綾部先生に感動の再会が出来、今回もまた素晴らしいお話を聞かせていただき、忘れられない貴重な時間になりました。
前回のブログの最後に「それにしても、正哉君が、無事にご両親に会えたことを、あのおばさんにお知らせ したいのは、私だけでしょうか?」と書きました。
その私の「ひとりごと」が、遠く宮崎で読んでもらえ、周り回って答えが感動の形で帰って来ました。
スゴイこと…。
それにしても、正哉君が、おばさんと再会出来て、本当に良かったです。
正哉君が作文に書いたことで、願いが叶いました。
私も、このブログに書いて良かったです。
この奇跡の感動をこれを読んでくださる皆さまにお伝え出来ることが、とっても嬉しいです。
ブログ、続けます。 にこっ! 亀ちゃん