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うわっそうだったのか!辛亥革命 前編『阿Q外傳』コラム②

2019.07.18 03:30



皆さん、初めまして!研修科1年の北川莉那です。

いきなりですが、今回の発表会『阿Q外傳』は辛亥革命時の中国が舞台。



「辛亥革命・・・なんか学校でやったなぁ。」

と、うろ覚えの方もいるのではないのでしょうか?



そこで今回は「うわっそうだったのか!辛亥革命」をテーマに全2回に分けてコラムお届けします!!長いですがお付き合いいただければ幸いです・・・





①辛亥革命が起こる以前の中国




1895年、日清戦争で中国は日本に負けてしまいました。


当時中国は世界から、「普段は静かだけど怒らせるとヤバイらしい・・・」と思われていて、

『眠れる獅子』とよばれていました。


そんな中国が日本に負けてしまったため、世界は「え、案外チョロいじゃん」と、中国にどんどん進出をし

事実上の「植民地」をつくっていきました。



中国がボロボロになっていく中、日露戦争で日本が勝利。


この日本の勝利は、他のアジア諸国に「俺らもいけるじゃん!」と影響を与えました。もちろん、植民地化が進んでいた中国にも。




何故ならこの戦争は、

「立憲政治の国(日本)」が「専制政治の国(ロシア)」に勝った!

という意味を持ち、

「皇帝による専制政治なんてやっぱりおかしい!」と民衆に再認識させる出来事となったからです。



これによって、いよいよ辛亥革命の土台が出来上がります。



国内では清朝政府を倒そう!という動きが高まり、興中会、華興会、光復会という3つの革命グループが団結し

東京で中国同盟会を結成します。


その中国同盟会のリーダーが、孫文です。



孫文は「異民族や外国の支配から脱して、独立した国家をつくろう!」「皇帝のいない国にしよう!」「貧富の差のない国にしよう!」と唱えました。



一方清朝政府は、

「外国の支配を受けて中国が大変な時に、皇帝をなくすなんて何事だ!よけい混乱するだろ!」と、

清という王朝のもとで外国から中国を守ろうとする姿勢を変えません。


中国同盟会は清朝の皇帝支配体制をなくすため、何度も蜂起しますが、失敗を重ねます。


その中の一つが、1907年の徐錫麟(じょしゃくりん)による安徽省・安慶での蜂起。秋瑾(しゅうきん)という女性革命家も仲間として捕らえられ、共に処刑されてしまいます。

(この2人は劇中に出てくるので是非覚えておいてください…)





②清朝の改革失敗、そして辛亥革命へ…




同盟会の運動が行き詰まる中、

清朝政府は、近代化を目指す最後の改革を進めます。

背景には先ほど出てきた、日露戦争の日本の勝利、民主化への流れなどがあります。


1905年に科挙という官吏登用制度を廃止し、いずれ作られる憲法の概要を示しました。



そして同じ年に、皇帝が死去し、ラストエンペラーとなる宣統帝が即位しました。(彼は当時まだ3歳でした。)

しかし、この改革は清の延命にすぎませんでした。




いよいよ辛亥革命がはじまります。




きっかけは1911年。清の財政は、敗戦などが原因で大赤字でした。そこで


「湖広鉄道を国有化して、それを担保に外国からお金を借りちゃおう!」


と思い立ち、鉄道を没収しようとします。



ですが、この鉄道は中国の資本家がつくった”民族資本”でした。もちろん民衆は怒り、重い税金に苦しんでいた農民も巻き込んで四川暴動が起きます。




中国同盟会はこの機を逃さず、


1911年10月10日、武昌(後の武漢)で武力行為をおこし、湖北省の独立を宣言します。


それから一気に14の省が独立を宣言し、中国は分裂していきます…


辛亥革命の始まりです。





…次回は、辛亥革命勃発後、共和国として出発した中華民国の挫折や、その後の中国についてご紹介いたします!

お楽しみに。



文、絵・北川莉那


<参考文献>

池上彰「そうだったのか!現代史」集英社

佐藤慎一編「近代中国の思索者たち」大修館書店

荒巻豊志「荒巻の新世界史の見取り図下巻」東進ブックス


文学座附属演劇研究所

研修科2019年度第2回発表会『阿Q外傳』

は、

8月2日(金)~8月4日(日)まで、文学座アトリエにて上演されます。

予約開始は7月19日(金)19:00~。

お電話 03-3351-7265(11時~18時/日祝除く、5月1お9日のみ日曜でも18~20時に電話予約可)

もしくはwebにてご予約ください!

公演詳細はこちらよりご覧いただけます。