コラム「真山隼人 少年時代~浪曲との出会い~」2018年7月号より
第1回の十三浪曲寄席の出演者であり、奇数月のレギュラーである真山隼人。現在23歳の彼が浪曲の世界に入ったのはわずか15歳の時。高校入学の年です。男は15になったら、何かせなアカンというという気持ちがあったそう。そこで芸能界目指して上京してたらありがちなんですが、彼の場合は浪曲師目指して来阪!とても気になる男です。
この記事ではそんな気になる彼がなぜ浪曲師になったのか。そのルーツを皆さんにお伝えします。是非これを読んで、浪曲師・真山隼人の事を身近に感じていただいたり、他にはいないなと一目置いていただいたり、色々感じていただければ幸いです。
彼が生まれたのは三重県鈴鹿市。ご両親は公務員でしつけにも厳しかったそう。テレビを置くと閉じ籠もるからという理由で、自室にテレビを置いてもらえず、その代わりに許されていたのがラジオ。そして、このラジオが彼の人生にとても大きな影響を与えます。まず、彼が小学校の時によく聴いていたラジオがなんとNHKの「ラジオ深夜便」。ラジオ深夜便を聴いて寝不足で学校に行っていたそうです。この時点で完全に大人の感性が備わっています。そして、小学校高学年の時にラジオから流れてきた日吉川秋水師の「水戸黄門」を聴いて、浪曲に興味を持ち始めたのです。色々すごいです。小学生が一人でラジオで浪曲聴くことも、それに興味を持つことも。それ以来、浪曲にハマった彼は持ち前の行動力と探究心を生かし、益々浪曲にのめり込んでいきます。中学生になると学校を休んで名古屋まで浪曲大会を見に行ったり、お小遣いを貯めて三遊亭圓生の圓生百席を購入したりと、今に繋がる伝統芸能の知識と感性をしっかり養っていったのです。
そして、中学卒業をきっかけに歌謡浪曲の真山一郎氏に手紙を書き弟子入りを志願します。その後、三味線浪曲を始めたり、他の芸人との交流を通して成長したりと様々な話があるわけではございますが、その辺りは置いておきまして、またいつかのお楽しみに。今回は平成生まれ最初の浪曲師のルーツに迫る真山隼人・少年時代の物語でした。
一問一答
Q浪曲師になってよかった事
A自分が憧れだった師匠方にかわいがってもらえる事。美味しいものが食べられる事
Q嬉しかった事
A文楽の竹本織大夫さんに褒めてもらった事。2年くらい前の上方演芸特選会。演目は鳥羽の恋塚。
Q浪曲を初めて聴く人に聞かせたい浪曲は
A「ビデオ屋の暖簾」
※ビデオ屋の暖簾…真山隼人作の創作浪曲。中学生がアダルトビデオを借りに行くという、爆笑作品。当時21歳の彼だからこその発想であり、彼の芸にもぴったりハマった。
Q今後やりたい作品
A梶川屏風回し、徳川天一坊、行友李風の亀甲組、藤沢周平作品(沢村さくらさん推し)。
Q浪曲以外の関心
A宝塚歌劇団。浪曲で雨月物語をする時に、歌劇団の同作品をビデオで鑑賞した事がきっかけ。鑑賞後、あまりの衝撃に3日間熱が下がらなかった。特に好きな団員は轟悠氏。今でも劇場に行く度に感じるドキドキは何事にも代えがたい。