ただ「在る」という状態について。
私が施術するときに気をつけていることが、自分をただ「在る」という状態にすること。
といっても、これがなかなか難しくて(笑)
できているかできてないかでいうと、半々ぐらいなのが正直なところ。。。
と言うのも、施術しているのは私なんだけど、
私の手が物理的にただ介在しているだけであって、
私が実際に何かをしているわけでも、コントロールしているわけでもない。
私はただ、「感じている」だけ。
強いて言うなら、お客様本人の身体の変化を邪魔しないように追っかけている感じかな?
なんでそう動くのか、次にどう動くのかは、私には全く予想もできないし、私が動かそうとすることもない。
ただ、その感じることに集中するには、
「私」はちょっと脇に置いておかないといけないんです。
感じることに対して、ジャッジしない状態っていうのかな?観察者の一人というか。
ただその「観察者」でい続けるってことが、難しい。なぜなら「感じて」いるから。
そこに、今までの経験や知識、そして「良くなってほしい」という想いも、介入したがるから。
こういう仕事をしている以上、ツラい人には良くなって欲しいという想いは、
結構強くもっている方だと思います。
でも、それを脇に置いておくというのは、矛盾している感じもします。
「想い」のエネルギーの影響は絶大なので。(まぁ、これは良くも悪くもなんですが。)
それでも、施術中はその想いすら脇に置いて、もちろん、私という自我も脇に置いて、
ただ「在る」状態になろうと意識するのは、
「良くなる」ことを前提にしているからです。
「良くなる」ことを信じているからです。
ここに、「私」「自我」「想い」「知識」「経験」が入り込もうとすると、
コントロールが生まれて、信じる状態から離れてしまいます。
これに気づいたのも、実はつい最近。
この仕事を手放さなきゃいけないかもと思った時に、自分と向き合って気づいた部分。
まぁ、その過程や詳しいことはまた書くとして、
この、信じている状態の上で、じゃあ自分はどう「在る」か。
目には見えないもの(エネルギーとか、感じているもの)を信じ続ける力が、自分にあると信じることとか、それらと同じように私という存在が「在る」こととか、
ちょっと何言ってるかわからないんだけど(笑)、
なんか、そんな感じなんです。
そんな感じで、皆さんに触っていますよー。
なんかまとまらないけど、おしまい(笑)。