Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

風とたね

千手観音考

2019.07.06 07:09

高校生の時に

「常泣菩薩(つねなきぼさつ)」という菩薩さまの話を本で読んだ。


常泣菩薩は

何を見ても

何を聞いても

泣いちゃうの。

すべてのものが悲しみを抱いていることに

すべてのものが孤独を感じていることに

そして

自分がその悲しみや孤独に対して

何もできないことが

悲しくて。

その溢れんばかりの優しさが故に

常に泣いている菩薩さま。


そんな常泣菩薩さま。

なんと転生して「千手観音」さまになられます。

千の手をもって衆生を救う観音さまに。

千の知識と知恵と技術をもって生まれ変わるの。


それを読んだ十代の頃は

私もそうなりたいと思った。

ひとの悲しみを共に悲しみ

ひとの孤独に寄り添い泣くばかりではなく

千の手をもって救うことのできる観音さまのようになりたいと。


たくさんの知識を

たくさんの知恵を

たくさんの技術をもちたいと願った。


またまた大きな志を持っていたものです^^


そこからもう20年経ったので

もう少し考えを進めていきたいと思うよ。



常泣菩薩は「情」で泣くんだ。

悲しい、悲しいと情で泣く。

ところが千手観音には「情」はない。

非情な冷静さと専門性と知識と技術。

救うためには「情」は要らない。

だって救うことだけが目的だから。

そこに自分の情は必要ないわけ。

要するに「我」「エゴ」というものがない状態ね。


とてつもない技術と判断力を持った外科医みたいなイメージ?

執刀中の外科医がいちいち

「あぁ、この人は今苦しいだろな、痛いだろうな」

なんて泣いてたら話にならんわけでさ。

泣いてる場合じゃねぇだろって。

肚すえて仕事せんかい!みたいな。


そう。

常泣菩薩って

優しさが故に泣いているんだけど

ちょっと鬱陶しいじゃない 笑

「いや、もう私のことで泣かんでいいからさ」

「もうちょっと自分のこと考えたら?」ってなる氣がするの。


だから常泣菩薩が転生して千手観音になるっていうことを

今の私なりに解釈すると・・・


ひとの悲しみを悲しんでいる常泣菩薩は

ある時氣がついた。

あれ?

これはあのひとの悲しみじゃない。

これは自分自身の悲しみだ。

これはあのひとの孤独じゃない。

これは自分自身の孤独だ。と。


そう。

常泣菩薩は外の世界に自分自身を見ていたことに

氣がついたの。


そして

菩薩さまは自分自身の内側をのぞきこんだ。

次の瞬間

転生し

千手観音になる。

世界がぐるんとひっくり返った。


観音さまは

自分自身のエキスパート。

そとの世界を

ほかのひとを思って

憂えたりしない。

常に常に自分と向き合う。


そとを向いて泣いているうちは

そとの世界から悲しみはなくならないと悟ったから。


自分自身に責任をもって自由に生きるひと。

我というものを超えて真に自立していこうとするひと。

そんなひとこそが

自分以外の誰かをそっと助けることができるのではないかな。


そういう仲間が増えてくると

そう

まるで千手観音のように

千の手を持って

この世界に何事か

美しくて

愉しくて

魂に刻み込まれる思い出になるような

何かを

成し遂げることができるんじゃないかって

今日は

そんな想像をしてしまいました♡


あぁ楽しかった!


思想好き、思索好きの風とたね店主に

今日もお付き合いいただきありがとうございました^^


Love,

Shoko