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定年後、荒野をめざす

遥かなるハルハ河 2 悪路12時間

2019.07.06 09:52

 モンゴルの国内線フンヌエアのプロペラ機は、7月6日午後4時、チンギス・ハーン国際空港を離陸した。晴れて暑い。ウランバートルの街が砂塵で霞んでいる。



 西へ660キロ、チョイバルサン空港に1時間半で着いた。モンゴル最東端の空港である。つまり、ノモンハン戦争の現場へは、ここから車で東へ進むしかない。道のりは約370キロ。トヨタ車6台に大量の水を積み込み、慰霊団一行約30人は夕方6時半、チョイバルサンを出発した。


 目指すボイル湖ゲルキャンプまで村はない。トイレもない。コンビニだってもちろんない。あるのは草原と星空だけだ。


 午後9時を過ぎて、ようやく暗闇に包まれた。もちろん、道路標識もない。進むには車の轍(わだち)が頼りだ。雪原でタイヤの跡を頼りに進むのと似ている。水たまりで泥をはね、その度に側頭部を車体にぶつけた。轍の分岐で、間違えると、目的地はどんどん遠ざかることになる。



  案の定、道に迷った。車にはナビが付いていない。というか、モンゴル人は地図が読めないとささやく事情通がいた。夜道で方向を失ったらなすすべがない。運転手が無線を使って大声でやりとりするが、車は藪の中に入り込んでしまった。


 スマホでGPS を使って位置を確かめた。すると、近くに湖がある。突っ込むと大変なことになる。


↑  GPSて見ると、闇の中、車は湖の直前で止まっていた。あわや!




  時計は午前3時を回っていた。湖に近づかないように運転手に英語で言うが、全く通じない。


 チョイバルサンの町に住むランドクルーザーやレクサスの所有者に直談判してチャーターした車だった。地元銀行の頭取も運転手を買って出てくれた。職業運転手ではないので迷っても仕方ない面がある。不安な車内を救ったのは先導車のヘッドライトだった。それを、頼りにわだち道に復帰した。


 午前6時前、目的地のボイル湖ゲルキャンプに着いた。夜が明け始めていた。地球が丸い。


  「ノモンハン戦争でも道に迷った部隊があった」と、今回同行したモンゴル通の言語学者、田中克彦さんが言った。見知らぬ土地で戦い、2万人の日本人の若者がこの地で倒れた。わずか4カ月で。

(続く)