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鈴木桂一郎アナウンス事務所

6月9日(日)『鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ』

2019.06.09 09:09

 昨日に続き、鳥越祭で、御神輿を担いだ。重い神輿を担ぐということは、脚の筋肉を使うので、脚を鍛えたことになる。三社祭でも感じたが、神輿を担ぐと言う事は、筋トレであり、有酸素運動なのであると、再確認した訳である。

(鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ1。鳥越神社野本社神輿は4トンの重さ)

 東京で一番大きくて、重い神輿は、富岡八幡宮の本社一の宮の神輿と言われている。高さ4,4メートル、担ぎ棒を含めた重さは、4,5トンもあると言う。平成3年に佐川急便の社長、佐川清さんが寄進したものだが、ただ余りに重すぎて、初の渡御中に担ぎ棒が折れて、渡御不能になったと聞いている。それ以後、渡御した事がない本社神輿である。神輿の鳳凰の目にダイヤモンドが埋っていたり、24キロの純金が飾りに施されていて、豪華絢爛で、10億円もかかったそうだが、担がれない本社神輿とは悲しい。以前ガラスケーズに展示されたこの神輿を見に行った時に、黄金色にキラキラと輝いてはいたが、どこか寂しそうだった。

東京で、実際に担がれる御神輿の中で、一番大きく重い御神輿はと言うと、通称千貫神輿と言われる鳥越神社の本社神輿だと思う。担ぎ棒を含めた総重量は、およそ4トンもある。

鳥越祭最終日の9日の早朝7時、曇り空で、時おり雨が落ちる、どんよりとした暗い景色を破るように鳥越神社から黄金色の本社の神輿が出てきた。

鳥越神社の一般の担ぎ手による宮出しは、棒を巡って激しい争いが行われる事が有名で、時には乱闘も起こる。血気溢れる担ぎ手の中に入り、神輿を担ぐには、殴られたり、その逆もあり、我先に神輿に殺到する中、腕力を振るわないと神輿に近づく事が出来ないのだから多少の暴力は仕方が無い。パワー溢れる若い担ぎ手を、力で制しながら掻き分けて神輿に近付く体力がなければ、神輿にたどり着く事さえ出来ないし、担ぐことは至難の業になる。

今では、宮出しでは、神輿の担ぎ棒を、同好会同士で決めていて、これが一つの権利となっているので、その権益を侵さない限りは、大喧嘩にはならない。でも私が神輿の会に入った45年前は、神輿の同好会の数は少なく、町会の半纏だけでなく、六尺褌一つの裸で神輿に飛び込んでいったことを記憶している。昔は、担ぎ手が力づくで棒を奪っていた。極めて暴力的ではあったが、参加する私は、アドレナリンがでまくり、一般社会では考えられない力の支配の激しさに、陶酔したことを覚えている。

(鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ2。筋トレを何故するか、御神輿を担ぐため)

私がトレーニングしている大きな理由は、鳥越神社の宮出しで、神輿を担ぐためだ。私は67才で、正直に言って、筋トレで筋肉とパワーを補強しないと、神輿を担げないし、神輿の近くに行くことも難しいと思っている。もちろん所属している神輿の会が、前側の棒の一本を確保していて、会員が代わる代わり担ぐ訳で、力づくで棒を奪う必要は無いが、それでも担ぎ手の集団を抜けて神輿に近付くのは難しいと思う。さらに体力だけではなく、神輿の状況を把握して、神輿に近付き、瞬時に棒に入れる状態を判断する俊敏さも要求される。  

私にとって、鳥越神社の宮出しは、この一年を元気で生活できるかどうかの試金石だ。神輿に近付いて、肩を入れ、担ぐ事が出来れば、若い人に負けない体力と機敏さがまだ自分に残っていると勝手に判断してしまう。鳥越神社の宮出しで、本社神輿を担げれば、この後の一年は、元気で過ごせると確信しているのである。

(鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ3.神輿担ぎは神事であり、スポーツだ)

私にとって、鳥越神社の宮出しは、この一年の健康面と体力面での吉凶を占う大事な儀式になっているので、鳥越神社の神輿が境内から出て来るのを見ると、ワクワクしてきて、身体中の血流が速くなり、興奮が高まるのを実感する。今年も、絶対神輿に肩を入れるぞ、人を押しのけてでも担ぐぞ、という気持ちが高まり、脳からアドレナリンが出てくるのが分る。

御神輿を担ぐことをスポーツに例えると、神輿が見えた時と言うのは、ボディビル大会に出場した際、舞台に登場する直前の気持ちの高まりに似ていると思う。

何かのスポーツ競技のために筋トレするなら分るが、単に筋肉を大きくするのは無駄な事じゃないか、という考えを聞くことがあるが、私の場合には、ボディビル大会に出場するために鍛えていると言うより、御神輿を担ぐために筋トレしているとはっきり言える。勿論御神輿を担ぐことは、神事に加わる事なのだ、と言うのは理解しているつもりだが、その一方で、スポーツ感覚で、担いでいると言うのも正直なところだ。鍛えた全身の筋肉を使って神輿を担ぐ。担ぐ事が、すなわち筋トレとなる。特に脹脛の筋肉が鍛えられる。そして担ぐ事で心拍数も上がる、これは有酸素運動である。神輿担ぎは、まさにスポーツなのである。

(鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ4.宮出しは、筋トレ効果を感じる瞬間)

私が会員になっている祭好会では、八方に手を回して、宮元の半纏を複数枚確保して、宮出しに備える。半纏は若い人が着て、合図と共に、神輿に走り、神輿の前側の胴棒を確保する。会員を担ぎ棒に付かせ、棒の周りをガードし、担ぎ手の腰が切れるように按配し、祭好会以外の担ぎ手を排除する。神輿が挙がると、若手の会員が、かわるがわるに神輿を担ぎ、担いだ後は、神輿を巡る集団から脱出してくる。私達年長者の会員は、最初は、半纏は回らないが、神輿から出てきた若手から半纏を借り、神輿を担ぐ事が出来るシステムになっている。

境内を出た本社神輿は、一旦鳥越神社の前の道路に置かれ、一時の静寂が訪れる。合図で、近くに待機していた濃紺の宮元の半纏を着た担ぎ手が、神輿に殺到する。走るなと声が掛かるが、聞くものは無い。一気に神輿の周りに人垣ができ、棒の奪い合いが始まる。力で支配され、時には暴力を伴って、瞬時に棒の支配が終る。前側の棒から担ぎ手が決まり、前側にはじかれた担ぎ手達が、後ろの棒にたどり着く。一本締めが終らないうちに、一気に神輿が挙がる。掛け声と喚声が渦の様に聞こえてくる。先ほどまで雨が降っていたが、宮出しの頃には、上がり、どんよりとした空模様になった。私は、褌とダボシャツ姿になり、神輿の前側に位置を決めて、仲間が神輿から出てきて、半纏を借りるのを待った。

神輿は大通りから脇道に入るまでは、最初に半纏を着ていた会員が、なかなか出てこなかったが、神輿が脇道に曲がった辺りで、最初に担いだグループが神輿の外に出てきて、そのうちの一人から、半纏を手に入れ、神輿に向かった。人を掻き分けながら、徐々に神輿に近付き、人の輪を掻い潜って、時には腕力に物を言わせて、胴棒に近付く。そして担ぎ手の疲れを待って交代して神輿を担ぐ事ができた。何しろ重い神輿なので、時間にして1回30秒も担いでいないが、出ては入り、神輿を担ぎ、又出ることを繰り返し、合計4回肩を入れることができた。そのうち1回は、棒の先端、ハナを担ぐことができた。この一年は、間違いなく健康に過ごせると言う確信が生まれた瞬間だ。筋トレの効果を痛切に感じる一瞬でもある。

(鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ5.神輿を通じ、生の実感と、神様との一体感を味わう)

鳥越の本社神輿は、4トンもあり、ただでさえ重いのに、担ぎ棒が短く太いので、ずしんずしんと、肩に重さがかかる。都内の多くの神輿を担いできたが、実感としては、一番重い神輿だと思う。いつもなら脹脛の筋肉を伸ばすようにして、つま先だって神輿を挙げるが、棒が落ちる時に、脹脛の筋肉が神輿の重さを支えきれず、神輿がずしんと肩に落ちる感覚を味わう。担ぎ手の一人である自分だけもがいても仕方がない事だが、全員必死で担がないと、どんどん神輿が沈んでしまうので、真剣に力を込めないとダメなのだ。無意識のうちに、時分の持つ最大限のパワーを、知らず知らずの内に引き出されてしまう。そう考えると、神輿は魔力を持っていて、私たちのパワー奪っていくとも考えられる。確かに、エネルギーを、神輿に吸い取られる感じがする。担いでいると、気持ちがハイになり、興奮状態が連続する。全力を出しているが、無意識になって、思考停止の状態が続く、大きな声を出して、担ぎ手が一体となり、力を振り絞って担ぐ。無意識に生じるパワーと陶酔感、そして一体感。生の感覚、と言ってもいいだろう。この生の感覚を味わうことができるから、神輿担ぎから半世紀近く離れられないのだと思う。神輿を通じた神様との一体感、まさしく神様のなせる業だと実感する。

(鳥越祭で考えた神輿担ぎと筋トレ6.神輿同好会には筋トレしている人が実は多い)

 私の所属する祭好会の会員には、若い人でも、筋トレしている人が多い。神輿を担ぐ体力を維持、発展させるためには,筋トレは役に立つと考えている人が多いのだ。ビジュアル面から見ても、厚い胸板は半纏を通して分るし、六尺褌も尻が張っているほうが似合う。ケツの肉が垂れてくると、褌姿は醜くなるのだ。

先日の東京オープンボディビル大会の舞台裏で、祭好会の友好団体の、ある神輿の同好会の会員から声を掛けられた。筋トレしているのは祭好会の会員だけではないようだ。また、埼玉県から来ていた同じく友好団体の41歳の人の大腿四頭筋が発達していたので、ボディビルやっているんですかと聞くと、やっていて今度埼玉県の大会に出場すると答えが返ってきた。その人が、私の足のカットを誉めてくれたのは嬉しかった。御神輿を担ぐ人達の間に、筋トレ、そしてボディビルが浸透しているのは、嬉しい事だ。