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ことばのハンドル。

【水の歌】雨の日の旅。その2

2019.07.08 12:14

スヌーピーのアプリの「本日の日課分」をこなしたところで、記事を書き始めよう。


旅の面白いところは、一度旅に出るとその思い出を何度も味わえること。思い出すシーンは決まっていることもあれば、違うことを思い出したり、更には新しく解釈することもある。


というわけで、以前も同記事を書いたような気がするけど、それぐらいスペシャルなひとり旅の一つ、熊野本宮大社への旅をもう一度書いてみたい。


数年前、私は特になんの情報も入れずに「厄祓いに行ってこい」という上司の言葉を鵜呑みにして、じゃあせっかくの機会ということで、熊野本宮大社へ行くことにした。(こういう、近隣で済みそうなところをあえて極端な行動を取ると、物語って生まれそうな気がしない?)(でもよく調べなかったせいで、高野山や那智の滝のなど、魅惑的なルートがあったことに後から気づくなど。)


紀伊田辺に着いたときは、すでに雨。

(というか台風)。電車の車体は揺れるけど、意外とサーフィンをしている人が目立つ。車窓から見える海は、どことなく憂鬱な色だけど。。

紀伊田辺駅に降り立って、片道2時間のバスに乗り、熊野本宮大社へ向かう。


さすがにこんな雨足の強まる中、大社へ行こうという人もいないのか、バスに乗りあった人はほとんど外国人であった。。


日本の人と思われるのは、途中、買い物帰りと思われる女性、しっかりと手に握り締められたビニール袋から、大根の葉っぱが出ているーーが乗ったっきり。


明らかにそれぞれの母国語で「雨だけど帰国の予定もあるのでやむ終えず今日行く」と、顔に書いてある人ばかりだ。


途中乗りあったのは、テンションの高い、鮮やかなニット帽を被った北欧三人娘。バスが来た喜びなのか、雨にずぶ濡れになりながら、ハイタッチしていた。

まるで、GAPのCMを見てるみたいだった。


さらに帰りのバスで会ったのは、イタリア系の色男二人組。白いシャツはずぶ濡れで、乳○が透けている。。しかしそんなこと構わずに、濡れた髪をかきあげて「Huu...」とため息をついているのだった。


しかし、この人たちは傘を持たないのだろうか?と思うのだが、おそらく人生に対する体温が、まるで違う人たちなのだと思った。

雨に降られて風邪を引く、なんて思いもしないのではないか。旅行先で雨が降ってしかも台風!楽しいね!喜びを!ジョイアス!


そんな人たちなのかと思う。


お目当ての熊野本宮大社のころ、雨は土砂降りという言葉がふさわしかった。しかし、本当にここぞという神社仏閣で、雨の降る女だなーと思う。


全く歓迎されている雰囲気がないまま、名物らしきものを探すが、雨で寒いためか食欲はわかない。


とぼとぼと大雨のなかバス停へ向かうと、ここから徒歩で「大斎原」(おおゆのはら、と読む)なるところがあると。


バスもだいぶ待つようだし、行ってみようか、と思った。 


説明では、熊野本宮大社があったところだけど、明治の水害で流されてしまったところだという。


たしかに、大きな鳥居があるきり、自然以外は何もないところのようだ。


そこへ向かう途中に、雨が突然小康状態になった。


そこに大社があっただろうと思われる場所に立った時、雨が止み、さっきまであったはずのまばらな人影もなくなった。


完全な一人で、そこに招かれたのだと思った。あるだろうと思い込んでいた悲しみや苦しみは聴こえなかった、子供の笑い声などがきこえた。


大らかで、穏やかだった。


受け容れるというのは、こういうことなのだろうな、と思った。和歌山は地理的にも台風が多いから、このようになったのかもしれない。


しばらくして3人の女性の笑い声でかき消されて、雨もポツリポツリと降り始めた。


その後に資料館に立ち寄り、和泉式部の熊野詣の話に興味が引かれた。

旅路で、彼女は生理になってしまい、不浄では参拝できないだろう、と詠む。


すると熊野権現から、


もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき


簡単に言えば、「そんなの気にしないで、おいでよ!」と。

なんとも大らかな神様ですなー。

「もろともに塵にまじはる」なんて、自分が神様だったら言えるかなあ。

自分もそんなたいしたもんじゃないっすよ、なんて感じで。

この歌、素朴で大きさを感じるし、ちよっとだけアウトローな響きもいいよね。


時を経て自分もそれを実感したかのような。。私もそういった一人かもしれないし、

異国から来た人なのかもしれない。


しかし、きっと同じ旅でも、私以外の誰かが行けば、全く違うことを感じるはずだ。

ただ台風に遭ってしまっただけのこの旅を、

人はどうやって物語として紡ぐんだろう?


それは与えられた時と場所、そして、水脈のように流れ続けた家族、祖先の歴史、自分が作り上げる歴史のもと、生まれるに違いない。

誰でも旅すれば異国の人、なのかもしれない。