岐阜遠征第2弾 酷道418号最狂区間 後編
「酷道の王」なんてぶちまけておきながら、中編まではいつもより酷道分の低いレポとなっています。
しかしそれも今回の「後編」で全て取り返してくれることでしょう。
舞台は岐阜県加茂郡八百津町(かもぐんやおつちょう)、ここからついに王がその重い腰を上げる!
こちらは国道ではありません。
国道418号丸山バイパスから現道に繋がる町道です。
(地図によってはここも国道となっているものもあります、どっちが正解?)
ここから王様との謁見がスタートします。
合流地点から撮影した王の姿。
まだまだここはスタート地点ですが、言い知れぬ気配が奥から立ち上ってきています。
そしていよいよ現れました。
安度沢隧道(やすどさわずいどう)
北陸本線隧道群を思い起こさせる煉瓦造りのポータル。
この短さも連想のキーになっているのは間違いないです。
そして今回の旅、実は最大の目的は隧道なのです。
先にネタばれしますが、僕は今回完全走破を目的としていません。
ちょっとネットで調べれば分かることですが、
この先道は先細り完全に獣道になってしまうのです!
さらにこの道が不通になった直接の原因とも言われる通称「隕石」
そして大規模崩落現場「玉座」
これらの難所が次々と襲いかかり、四輪車どころか原付すら通れない有り様!!
(ネットで見たつわものは原付1台を11人態勢でサポートして乗り越えてましたが・・・w)
山用の自転車を所有していない僕は、完全走破は別の機会に譲り、その前の車道区間最大のハイライトを目指すことにしたのです。
二股隧道(ふたまたずいどう)
別名「朝鮮トンネル」、戦時下に掘られた隧道で、朝鮮人労働者が多く動員され、そこで亡くなった方はトンネル内に埋められたとも言われるいわくつきの隧道です。
まぁ正直、怪談の類には一切興味のない僕、そして別にもしそこに不幸にも無くなられた方がいても、その安眠を妨げるつもりもない僕はここをゴール地点と定めました。
ちなみに怖がらせるつもりもないのでぶっちゃけますが、おそらくこの朝鮮人労働者の怪談は僕は作り話だと考えています。
なにせこの隧道の竣工は昭和31年、終戦から11年も経過しているのです。
まぁ戦時中物資も少ない中で突貫工事が進められ、終戦で工事が停止し、その後掘りなおされたということも考えられなくはないですが、そんな資料も見当たりません。
ただ・・・、丸山ダムの建設には40名以上の日本人が犠牲になったとの記録があります。
当然外国人労働者は日本人よりも苛烈な労働状況にあったので、それ以上の死者は出ているでしょう。
どちらにせよ、この辺りで多くの血が流れたということには間違いはないようです。
さて暗い話はここまでにして、いまはともかく!
どんどん進むのみ!!
連続というほどではありませんが、再び近い距離で隧道が現れました。
今度は長い!
そしてカーブしてるので先が見通せない!
柏木隧道(かしわぎずいどう)
こちらはうってかわってコンクリートのポータル。
奥に行けばいくほど新しくなるのか?
でもこの次はいよいよ二股隧道のはずだけど昭和31年竣工だったはずだけど?
ちなみにプレートには昭和33年竣工と書かれていました。
右手には噂の丸山ダムがつくりだす丸山蘇水湖(まるやまそすいこ)。
この湖がこの後、僕の首を絞めてくることになろうとは・・・。
そしてこの区間で僕の心をもっと動かしたのがこの独特の形状の吊り橋。
旅足橋(たびそこはし)
フロリアーノポリス型という世界でも5か所にしか架設されていないという、「超」のつく珍しい構造を有する吊り橋です。
何が珍しいかというとメインケーブル(主塔から主塔に伸びる一番太いケーブル)が補剛桁(車道部分のことだがここでは欄干の外側の赤いトラス部分を指す)と一体化しているという点です。
本来ならハンガーロープ(メインケーブルから補剛桁を吊るすワイヤー)で吊るされているべきところですが、ご覧のとおりがっちり一体化しています。
確かに共振の心配は少なそうですが、メインケーブルへの負担が半端なさそう。
まぁこんな状況でも現役なんだから大丈夫なんでしょうが。
そして気になるのは奥の山肌に見える、道の痕跡。
丸山ダムが出来る以前の道でしょうか?
かつては同名の橋がかかっていたらしいんですが、場所が違ったのかな?
旅足橋を越えると再び橋があります。
こちらはよくあるトラス橋、「湯谷橋(ゆだにばし)」といい、なぜか旅足橋と同じくらいの知名度を持っています。
そのわけは・・・、
ここから道が一気に悪化するから
そして超有名なこの看板。
国道418号が道として否定された瞬間です。
しかしなぜなのか、
ほとんどの道路地図ではこの先の道も国道として描かれているのです!
さぁこっからが本番だ!!!
ありきたりなことを言いますが・・・、
これでも国道です!
ダムの管理用道路じゃありません!!
いよいよ荒れてきました。
ネット上の情報で現状を確認してきたんですが、明らかにネット上の写真よりもヤバい。
アスファルト舗装はされてますが、用をなしていない(むしろ邪魔)状態です。
ぐあ!!!
一番、微妙なレベルの崩壊・・・。
行けるか?行けないか・・・?
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・!!!
無理!!!
だがここで諦めるわけにはいかない!!
四日市から3時間、さらにここから敦賀まで4時間かかるんだ!!!
ここまできたら歩きででも二股トンネルまで行ってやる!!
う~ん、ちょっと遅かったなこの看板。
しかし雷鳴が轟いてきました。
そして車から降りた時点で、降っていた小雨が徐々に本降りに・・・。
一瞬雨がやんだすきに(ダム沿いの道で大雨ってマジで怖いんだよ)歩みを進めます。
写真は古いタイプのデリニエーター、しかし徐々に雷鳴は近づいてきています。
ん?
雷鳴??
いや、これは車がダートを走ってくる音??
ははは、そんなバカな。向こうにはもう笠置ダムのあの厳重なゲートしかないはず。
こちらにはあの崩落現場、この先から車が来るなんてことはないはず・・・。
ぐぉおおおおおおお!!!!
いやぁああああああ!!!!!
ここからお話しする話は事実です。
余りの急な出来事に写真すら撮れませんでしたが、僕はこの道で
アルファードに追いかけられました。
実はこの先、二股トンネル奥に町道との交差点があるらしく、そこから入ってきた車のようです。
しかしそれを知らなかった僕はあまりの出来事にビビりまくり、(たぶん向こうも大雨の中、廃道寸前の道で、びしょぬれのおっさんが一人で歩いてたんだから相当ビビっただろうけど)、歩いてきた方向へダッシュ!!
すごすご逃げ帰りました・・・。
しかし・・・あれはビビる!!
せっかくなので旧道の方を通って現道へ合流しようと思います。
道は変電所の隣を通って・・・、
現道より立派な快走路となり・・・、
奥の道で合流します。
しかし悔いの残る旅となりました。
二股トンネルまでたどり着けなかったのが何より残念。
必ず再訪することをここに誓います!!
この後、僕は地図上で見つけた謎の隧道を目指しました!
僕は人生で初遭遇となる、あの隧道!
こちらもこうご期待!!
以上、酷道418号最狂区間編