好きなものや面白いことが多いほどハッピーに。
最近、文化コミュニティーで悲しい話を聞いた。特撮が好きな女子は 男子に否定されるべき、という声があったそうだ。いわゆる男子コンテンツが好きな私は、子供の頃 学校や家族に否定された。
それでも、ガンダムやROCKや恐竜や昆虫や工場やバトルものが好きな、好きである自分の心を守ってきた。そのおかげで 大人になっても楽しい時間や、共有出来る人達との交流がある。
今日、尊敬する先輩の漫画家が語る動画で、好きなことや面白いことが多いほど、選択肢と視点が増えて 幸せの可能性が広がる、というメッセージをもらった。
その通りだと思う。 狭量な価値観や考え方で、すぐに物事をダメだと判断したり、安易に他人を疎外したりするのは、大抵 情報のストックが少ないのだ。
情報とは、知識ということだけではなくて、感動する事で育まれた感性・神経の方向の多様さから得る情報、体系的・立体的な視点と頭で物事を理解して得る情報、様々な行動・経験を経て体得する非言語の知恵やチカラから掴む情報。
好きなものや面白いことを通じて、人間が自分の力を高めるきっかけが得られる。ただ受動的に口当たりの良い流行りのジャンクを消費するのではなく、古今東西、高尚なものから低俗なことまで、能動的に「好き」と「面白い」を味わい、知ることが鍵だ。
楽しむためには、勉強が必要なこともある。
面白さを感じるには、ベースとなる情報や分析ができる視野を養っておくことが必要なことが多いのだ。現代アートのコンテクストや、映画史と表現論、あるいは研究など。自律的な勉強を重ねたからこそ、文化やコンテンツを個々人が能動的に楽しめる、あるいは仕事や生活のあり方をコントロールできるようになる。
ひとつの作品鑑賞にも、うわべの感覚と分かりやすいパーツの好みで終わる人と、色彩や味わいを神経で甘受し鮮やかさに興奮し、構成を見抜いて 壮大な狙いや原型や名作のオマージュを理解し、ディテールの記号をゲームの様に繋げて楽しみ、その時代ならではの特性や技術と周辺文化との連動を類推したり、同化効果と異化効果を観察したりして 楽しめる人がいる。勉強は、楽しむ次元と知的筋力を桁違いに変えてくれる。そして同レベルに勉強をしているもの同士の解説や対話は、深く広く豊かで、大きな世界の共有とともに、視点の鋭さや意外な組み合わせを楽しめる。
幅広いことを知った上で好きなものや面白いことをセレクトする志向と味わい方がその人のセンスであり、意識的に様々な文化や物事を学び味わうことがセンスを更に育む。物事の楽しみ方が能動的なら、感性も知性も行動も伸びていき 、アンハッピーな価値観や思考に囚われ辛くなる。
どうか 好きなものを大切に、楽しいと感じる時間を大切に。好きなものや面白いことを能動的に多角的に味わっていこう。
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