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KANGE's log

映画「新聞記者」

2019.07.12 13:54

「政権批判映画」と見る向きもあるようですが、実は政治サスペンスでもなく、「個と同調圧力」という社会文化的サスペンスの要素が強いと感じました。

特区を利用した新大学設置計画の情報をリークした者の象徴として「黒い目の羊」が何度も出てきます。物語上は「誰がリークしたのか」を突き止めるキーになりますが、なぜそれが羊でなければならなかったのか、制作側の意図を想像してみたくなります。

羊は、やはり人でしょうね。基本的に羊は群れで存在しているもの(だから、複数形も”sheep”)。昔は、先導者に群れでついていけば、なんとかなっていたかもしれない。でも、今は個が分断されてきている。しかも、正しい情報を見ることができないように、黒く目を潰されて…、ということなのかな、と解釈しました。

だから、メディアが正しく機能しなければいけない、ということなのでしょう。 権力を監視するのがメディアの機能ならば、権力化したメディアを監視するのは国ではなく、国民であるべき、ということなのだと思います。 

しかし、メディアの物語であれば、「スポットライト」や「ペンタゴンペーパーズ」など事実に基づく物語の良作が、ここ数年続いているので、直近の話題を取り入れたとはいえ、フィクションであれば、もっともっとできることはあるだろうと、物足りなく思います。 作りとしては、思ったよりもフィクション度が高い(リアリティは低い)と感じました。 

特に、内閣情報調査室の描写。さすがに、各省庁からの出向してきたエリート官僚たちが、せっせとネットに書き込みしているというのは、どうなんでしょう? そして、その職場は、「節電し過ぎじゃないの?」と訊ねたくなるぐらい薄暗い。JIS基準どころか、労働衛生法も守れていないのではないでしょうか。その暗さでは、資料も読めないでしょう。

いかにも「悪の巣窟」ということなのでしょうが、それはあまりにも一面的すぎるのではないでしょうか。「あっちにはあっちの正義があり、こちらにもこちらの正義がある。そして、あっちにはあっちの闇があり、こちらにもこちらの闇がある。それを見極めるのは、あなた」というのが、この映画だと思うのです。正義だと信じて、あるいは正義だと自分を信じ込ませて、一般人をマークしたり、社会的に抹殺するからこそ、怖いのです。このステレオタイプな悪者演出は逆効果だったのじゃないか、と感じます。

だからこそ、この映画を見ただけで、単純に「内閣情報調査室ってこんなことやってるんだ。怖いよね」と決めつけてしまうのも、ちょっと違うと思うのです。この映画さえ疑ってかかる態度を求めているのが、この映画だと思うのです。


「誰よりも、自分を信じ、疑え」です。

余談ですが、「凪待ち」の試写会のティーチインで、白石監督が「日本映画は、リリー・フランキーに頼りすぎ」とおっしゃっていましたが、私としては、もう1人「日本映画は、西田尚美に頼りすぎ」と両作品を見て、感じたのでした。