5. 新島襄海外渡航の地碑
2019.07.13 05:18
江戸後期(1864年)、弱冠21歳の新島 襄は、新たな知識を求め、国禁を犯してアメリカへ密航を企て、決行しました。
多くを学び10年後に無事帰国、そして同志社大学を興しました。
その岸壁に記念碑が建てられています。碑は1865年3月に香港で詠んだ漢詩がのちに刻まれたもの。
新島襄が脱国した場所は、かつての外国人居留地の岸壁で、緑の島に架かる橋「新島橋」の脇にあります。
地碑は、同志社大学から記念碑面を寄贈された1952(昭和27)年の2年後に建立されました。
また、赤レンガ倉庫群方面へ歩くと、彼のブロンズ像が建っています。現在は、2018年9月から2020年3月まで、岸壁の改良工事・緑地整備工事に伴って、ブロンズ像は一時的に撤去されています。