前宗教改革8-文化弾圧「虚栄のかがり火」
2019.07.13 07:07
教皇アレクサンデル6世は、最初サヴォナローラに枢機卿の餌で釣ろうと思ったが釣られないとみるや、権威で威圧することに替えた。教皇にひれふせと。しかしそんなことはムダムダムダアであるね。
ところがカタブツの修道士は、真正面から弁明の手紙を送ってきた。まるでイランとアメリカのやりとりのようで、やればやるほどこじれていく。教皇は、いよいよ修道士の預言者ぶった説教を禁止したが、翌年の復活祭前の四旬節には、説教を再開してしまった。そしてヴァチカン批判を始めたのだ。遂にはローマに神の怒りが落ちるとまで言い出した。
サヴォナローラの説教に感動していた青年が居る、名をミケランジェロ・ブォナロッテティ。彼はロレンツォに才能を見いだされて庇護を受け、人文主義にも影響されたが、この修道士にも影響を受けた。それはミケランジェロの後半生に開花するだろう。しかし政情不安でボローニャに避難した。
97年、教皇はサヴォナローラの修道院長職を解任した。しかしサヴォナローラはいっそう過激になり、2月7日に、フィレンツェの煌びやかで古典的な美術工芸品、装飾、人文主義の本を市庁舎前広場に集めて焼いてしまった。世に言う「虚飾のかがり火」である。