ブレないこと。変化し続けること。
私は、飽きっぽい。
そしてすぐに気が変わるし、
すぐに違う感覚にもなる。
確固たる「これ」という感覚が、
希薄なのだと思う。
学生と話していると、
自分の弱みとして、
飽きっぽい
を挙げる学生も多い。
まぁ、私もそうだから言うけれど、
飽きっぽさって、強みだと思う。
(逆に、ひとつのことをやり続けられる、
ということも、まぎれもなく強み。)
一定期間、ひとつのことに
ある程度集中して取り組むと、
ふと、
その世界観が窮屈に感じられたり。
それまでは、
無我夢中で没頭するのだけれど、
ふと、我に返るように、
違う世界も見てみたくなる。
で、その世界を脱出してみたり。
安心な場所や
慣れたやり方は心地よいから、
気持ちよくやれる間は、
本当に快適にできるのだけれど、
いったん飽きると、
その世界にいることが
急に居心地悪くなっちゃったりね。
いてもたってもいられない、となる。
変化することが、心地よい。
変化し、変容し、
常に新しい自分に出会い続けたいと思う。
そして、体感覚でも、
それが心地よいのだろうと思う。
慣れた環境も関係も心地よいのだけれど、
固定されると窮屈だから、
どこか一部分は常に、
新陳代謝のごとく
入れ替わりながら、
変化し、
変容することが、
私にとっての楽しさと、
歓びと、心地よさなのだと思う。
ひとつのことをやり続けることが、
「ブレない」と表現されることも
多いように感じるけれど、
私の場合は、
いろんなことをやっているけれど、
自分の中ではブレていない。
転職経験もあるし、
その経歴に何の一貫性もないし、
個人事業主になってからも、
関連性が全く見えないような、
そんなサービスを次々やってみては
やっぱやめた
など、
数えきれないくらい繰り返してきたし。
じゃ、
何がブレていないのかと言えば、
自分自身をもっと知りたい
という思いと、
それが原動力になっての行動。
本当の自分などと言うと、
ちょっとオーバーだけれど、
でも、
本当の自分は何者か?
を、知りたい。
答えはないし、
全貌が分かるはずもないけれど、
それを知っていてもなお、
私は、私のことをもっと知りたい。
そう、
自分のことにしか興味がないのだ(笑)
私が何かをしたことで、
自分以外の人が喜んでくれたら、
それはとても嬉しいけれど、
でも、
その誰かが嬉しい、という
その表情や場面の中で、
自分が感じていることを、
感じている何かを、
反応しているその何かを、
味わって
感じて
あぁ、こんな自分もいるんだって、
自分を感じることそのものが、
私の歓びだったりする。
長い w
だから、
変化することや
変容することは、
ブレないここと両立するのだ。
むしろ、
繊細な変化を感じ取れる、
その感性が呼び覚まされていなければ、
ブレ続けるのだと思う。
ブレなくなるには、
感じ取る繊細な感性を、
呼び覚ますことなのだ。