余白
七月に入り
蝉の鳴き声を聞いたと思えば
陽射しはもうすっかり夏の煌めき
まだまだ不安定な天候の日も多いけれど
梅雨明け
そして夏の始まりも
そう遠くはない気配です
一昔前と比べ
何かを発信することの敷居が下がった昨今
こういったブログをはじめ
あらゆるSNSを用いて
様々な情報を発信することが容易となり
それぞれが自分に合った方法を選択することも
可能になりました
時代のテクノロジーの恩恵を受けて
格段に時間を短縮して
求める情報を入手できることも
この上なく便利です
ただ それに伴っての不必要な情報も
望む望まないにかかわらず
容赦なく流れ込んでくるのも事実です
現在の私に限って言えば
いいねやコメントといった機能のあるSNSは
可能な限りそれを外して用いています
そうすることによって
いいねやフォロワーの数だけに拘る方とは
おのずと御縁が切れ
純粋に言葉を丁寧に
掬い上げてくださる方とだけ
繋がりが残るようになりました
日常的に拝読していた数少ない記事やブログも
知らないうちに場所を変えられたり
退会してしまわれた方も多く
いつしか気が付けば
そういった機能のないものや
敢えて外して発信されている
そっけないほどシンプルなものだけが
ブックマークに残っています
それは自分自身の
ものぐさな性格も多分にあってのことですが
そこから流れてくる言葉や
言霊の響き
目に見えない空気感や色彩
そういったものの持つ
心地よさだけを
何より大切にしたいと思うからです
十人十色の生き方があり
何通りもの考え方があって当然なのだし
住む場所や生い立ち
暮らす環境が違えば
みんなが同じ考え方である方が
不自然だと思います
ただ
あまりにも他者に土足で立ち入る言葉や
批判からは距離を置きたいし
そこにあるすべてを
知りたいとも思わないのです
『余白』
という言葉が昔から好きで
厳しい暑さや寒さ
雨風にも耐えて咲く小さな野の花の姿や
樹木の葉が風にそよぐ風情
波音や月の光に感じる
おおらかさや潔さ
凛とした佇まいは 永遠の憧れでもあり
いつしかそこに
『余白』という言葉を重ねるようにも
なりました
物や情報 言葉が溢れすぎて
何かひとつを選ぶのにも迷い
無駄に時間を費やしてしまう
そんな時代にあって
逆に選択肢の無いことや
知らされずにいることが
豊かさや幸せである場合も
人にはあるのかもしれません
いつも清々しい風が通るように
季節の光が差し込む空間であるように
そこには何も置かない
敢えて何もない場所を作る
物の溢れた急ぎ足の時代のあとから
何も持たず
ゆっくり遅れてついていく
生き方にもそんな『余白』を持ちたいと願う
今日この頃です