前宗教改革9-サヴォナローラ市民の手で処刑
2019.07.16 08:16
サヴォナローラはちっともローマに謝りに来なかった。アレクサンデル6世は「聖フランチェスコならわしにひれ伏しに来ただろうに」と言ったらしい。自分をあの大教皇インノケンティウス3世と同じと自負している。確かに政治力はたいしたものだが、信仰は月とスッポン。
1497年、ついに教皇はサヴォナローラを破門した。これに対し、サヴォナローラは各国に教皇批判の手紙を書き、公会議開催を訴えた。しかしその手紙はいちはやく教皇がつかんでいた。教皇は、内部からはライバルのフランシスコ会を使って陽動し、外からはフィレンツェ大使に脅しをかける。
もともと自由でまとまらないフィレンツェっ子は、いいかげんお堅すぎるサヴォナローラに飽きてきた。厳格すぎる戒律生活は商売にならず、飢饉が起こりご威光にも陰りが見える。翌98年、フランシスコ会が「預言者なら火の中を渡っても平気なはずだ」と挑発をかけると、彼らはのってしまった。
4月7日、準備万端整った。ところが雨が降ってきて、このイベントは中止になった。民衆の怒りは爆発。サヴォナローラの修道院に侵入して、政府委員につきだした。裁判が行われ、彼は絞首刑となり遺体は焼かれた。ミケランジェロは、96年にはフィレンツェに帰ってきて、この一部始終を見ていた。
下はゲーム「アサシンクリード」のサヴォナローラの処刑。とどめを刺すことができる