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〜ヒーリングサロン〜ほしのやしろ

自分らしく生きることが最大の癒し①

2019.12.31 16:11

小さな時から親の顔を伺いながら過ごしていました。

何事にも心配性な母を気にしながら。

母に言わせると、私はとても変わっていた子だったようです。


まだ満足に歩くことができない幼いころでも


「とーたん(ともこちゃん)だけ!」


と言って親の手を振り払って歩いて転んでみたり。

幼稚園時代に踊るバレエを習わせたら、先生の言うことは一切聞かず、手すりのバーの端を望遠鏡のように覗いていたり。

幼稚園では、何をしたのかは忘れてしまっていますが、叱られて、よく私一人だけトイレに閉じ込められていたことを記憶しています。わんわん泣きながらトイレで過ごしていたような幼稚園時代。(今なら大問題かも?^^;。その幼稚園は私の代で終わったので、今はありません。)

よほど、天真爛漫に奇想天外なことをやっていたのでしょう。


小学生になると、いじめを受けました。

低学年の頃は男子からの暴力。高学年頃は女子からの言葉の暴力。


そんな経験を経て、小学6年のある給食の歓談時、同じ班の子から、


なんでワンテンポ遅く笑うの?


と言われました。


そのころは「自分を消し周りに溶け込む」ということに尽力していたのかもしれません。

しかし、下手だったのでしょうね。

その子に指摘されて、自分の気持ちで笑いたいなと思いましたが、なかなか。

今でもつられて笑っている自分に気付くと、その場面が浮かびます。


そんな子供でしたから、親は心配したのだと思います。

周りの子からお誕生会やお泊り会に誘われても、母が反対して、私は参加できませんでした。

よそ様に迷惑をかけて生きてはいけないと、繰り返し言われて育ちました。


周りを立てて自分は遠慮するということを祖母と母にきつく教わり、我慢を美徳とする生き方を叩き込まれた子供時代でした。

私がやりたいことや思うことは棚に上げられて、私は祖母や母の考えるとおりに行動させられました。


なので、子供時代は自由がなかったように思い、かなり長くそのことを恨んでいました。


しかし、その経験から、私には反骨精神がむくむくと生まれてきました。


自分の思う正しさとは。

自分の思うこととは。

何が正しくて何が悪いのか。


自分の思う正しいと悪いで物事を判断するようになっていったのです。


母の判断は全て否定しました。

母も私を否定するから、私も猛反発し、全否定。苦しい日々でした。

しかし、学校へ行っている間や社会人になって仕事をしている間は自分でいられる楽しい時間でもありました。

どんなに自分自身を否定されても毎日家に帰ったのは、その否定するということ自体が母なりの愛情表現だということをどこかで理解していたからだと思います。


しかし、苦痛も限界で家を飛び出すように結婚するも、母は私の生活に干渉してきました。

干渉してくる割には、子育てには非協力的で、私には母の気持ちが理解できませんでした。


そんな中、体調を壊し、日常生活に差し支えるようになりました。

母の助けも借りなければいけいない日々が訪れました。

病院では、どこも悪くないといわれ続けました。


私はいろんな情報を仕入れて、民間療法を試しました。

整体や食事療法。

一度は整体で良くなりましたが、また壊しました。


毎日悪夢を見て、寝つきも悪くて、体も痛い。

食べるものは全て出てしまい、体重が減っていく日々でした。

逆流性食道炎と過敏性腸症候群と診断され、数年にわたり、薬をいくつか飲みましたが、症状は悪くなる一方でした。

子供も体調を崩し始め、踏んだり蹴ったりな毎日が続いたのです。


そんな時に、ふとあるサイトに書いてあった

念彼観音力 ねんぴかんのんりき

という言葉を口にした途端、私は体の力が抜けて、床に崩れてしまったのです。

その感覚にびっくりとすると同時に、力の抜けた感覚がとても気持ちが良かったのです。


しばらくすると、体は、また元通りにこわばりました。

これはなにか憑いてるかもと思い、そのサイトで無料ヒーリングを行っていたので、いぶかしげに思いながらも、藁にもすがる思いで申し込んだのです。


家にいながら、また、心のなかで「受け取る」と宣言するだけでヒーリングエネルギーが送られてくるなんて、その時は半信半疑でした。

しかし、夜、布団に入ったあと、心の中で宣言すると、すぐさま、頭のほうから光のようなものが自分を覆うように入ってくるのがわかりました。

慢性的に痛かった右腹に激痛が走りました。

そのエネルギーが足までたどり着くと、子供のころの壊れた気持ちを感じました。

それと同時に、黒光りしている、深い紫色の大蛇が私から抜けていくのが見えました。

大蛇といっても、一つ一つは黒い小さな蛆虫のようなものが大蛇のようにまとまって抜けていったように感じました。

気持ちが悪い!


と思ったところで記憶は途切れ、気づいたら朝だったのです。


ヒーリングって何だろうと、朝起きてからまた思い返すと、夢のように思えたりもしました。

しかし、唯一、確信が持てたことは、母を恨む気持ちが和らぎ、今まで感じたこともなかった感謝に代わっていたことだったのです。


母に感謝なんて感じたことはなく。

母を一生許せないと思っていた自分自身の心の変化に驚きました。


また、この心の変化が、自分の体調をよくしてることにも気付きました。


たった1回のことで、こんなに楽になるなんて。

ヒーリングって何て素晴らしいのだろうと思いました。

施術者にも今まで生きていて感じたことのない感謝の気持ちが湧きました。


それは、ほんの少しだけ自分の心が洗われた出来事だったのですが、今まで感謝ということを全く感じず生きてきたことにも気付きました。


感謝する心を閉ざし、荒い波動で生きていたので、いじめに会い、母とはぶつかり、厳しい現実を引き寄せて生きてきたのだと実感しています。

でも、それらの経験がなければ、ヒーリングというエネルギーワークの世界に興味を持つこともなかったのだと思います。


つづく。。。