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亀という先輩

2019.07.19 04:10

先日、所属する大学院の相談センターにて、

箱庭をつくらせていただきました。


箱庭は学部時代に一度作ったことがあり、

今回は人生で二度目でした。

箱庭療法は、セラピストが見守る中、クライエントが自発的に、砂の入った箱の中にミニチュア玩具を置き、また砂自体を使って、自由に何かを表現したり、遊ぶことを通して行う心理療法です。
(日本臨床心理士会ホームページよりhttp://www.jsccp.jp/near/interview3.php )

砂の入った箱の中に何かを置くだけで、

何が分かるの?

という疑問を持たれる人がいるかもしれませんが、


例えば箱の右上に置いたからこうだ、

とか、このアイテムを選んだということはこのクライエントは何か闇を抱えているに違いない!

だとか、そういった極端な解釈をするものでは決してありません。

もし作られた作品を後から見て勝手に分析しようものなら、怪しげな占いの類と変わらなくなってしまいます。


解釈を全くしないかと言えばそうでもなく、

Sandplay therapyを我が国に持ち込み適用した河合隼雄の『箱庭療法入門』には、

受容を深めるためには解釈をする必要があり、

解釈をするためには受容を深める必要があるという、

受容と解釈の相補性と、治療者に求められるであろう絶妙なバランス感を思わせる記述がありました。


また、箱庭を作ることがなぜ治療になるの?という疑問もあるかもしれませんが、


箱庭を作ることや砂を触ること自体に治療効果があるというより、

与えられた安全な枠としての箱の中で、

自由な表現を通して治療的な効果が得られていくクライエントがいる、

という方が適していると私は認識しています。

その自由な表現を、そばで治療者が見ている、ということは箱庭制作を箱庭“療法”たらしめる重要な要素であると考えられます。


学部時代の指導教員から、箱庭制作の実習はそばで見ていることの実習でもあると教えられたことを思い出しつつ、

今回私も、他の院生に見守ってもらいながら交代で作ることにしました。


今回私が箱庭をつくったのは講義の一環というわけではなく、

芸術療法研究会という任意の研究会で月に1回箱庭療法を教えにきて下さっている先生がいて、

その事前学習的な意味合いを含めて、

各自、自分で一度作ってきて写真を持ってくるようにとのことで、

課題として作ったのではありますが、

やらさせるというよりは、

久しぶりの箱庭制作に懐かしさとワクワク感を持ちながら作りました。


箱庭は一度作っただけでその人の固定的なパーソナリティ特性が分かるというようなものではなく、

あくまで“そのときそう表現した”ということですので、

多くの箱庭療法の事例論文などを見ると、

何回ものセッションを重ねていく中で作品の様相が移り変わっていく過程が記されています。


私が今回箱庭を作らせてもらった部屋には、

動物のミニチュアが多く用意されており、

中でも私は亀のミニチュアが多いことに目が留まりました。

その中から、一匹手にとって箱庭の中に置き、一匹では物足りず、

結局そこにある亀をすべて箱庭の中に置きました。



私は亀が好きです。大きな亀が。

水族館に行くと、他の生き物と比して割と長い時間見続けてしまいます。


幼い頃、といっても小学生くらいのときに、家で亀を飼っていた記憶があります(たしかミドリガメ?)。

死んでしまった後に、たしかマンション敷地内で土葬した記憶も、曖昧ですが残っています。

(ちなみに私有地外で埋葬することは法的に問題あるらしいので濁しておきます)


飼っていたから好きなのかな?とも思うのですが、

飼っていたときの記憶というのはかなり断片的で、殆ど覚えていません。

反対に覚えているのは、

子どもの頃、亀は寿命が長く、100年以上生きる亀もいるという知識を得たときに、

子どもながらに亀に対して尊敬(?)のような見方を持ったことです。

亀は人間よりも、....

うまく言えないのですが、

あえて言うなら「先輩」みたいな感じがして、

そのイメージが今にも残っているのだと思います。


少し調べてみると、

「鶴は千年、亀は万年」という言葉があるように、

亀は長寿の象徴であり、縁起の良い生き物として古くから捉えられてきた歴史があります。


そのような亀の先輩感に加え、

ゆっくりとした動きと、甲羅の堅さも私は好きで、

総合すると、私は亀に対して、

堅実で、冷静で、人間よりも多くを知っているというイメージを持っているように思います。


そのような自分にとって特別な意味を持っていそうな亀を、箱庭のこの位置に、何匹、こういう並べ方をしたということに性急な解釈を与えたいわけではないことは前述した通りです。


でも、箱庭を作ったことがきっかけで、

ところでなんで自分は亀が好きなんだろう、

と普段考えないようなことを考えることになって、

端的に言うと面白いなぁと思ったのでした。


大人になるとなかなか、自由に表現していい“遊び”の機会は多くないように思いますが、どうでしょうか。


今思ったのですが、

動物が何かの象徴とされるのは、

動物が喋らないから、人間が意味を与えるのでしょうか?

もし動物が言葉を持っていて、コミュニケーション可能だったら、さほど神聖さみたいなものは積極的にクローズアップされていなかったのかもとか、想像を膨らませました。



伊豆に亀だけの水族館があると聞きました。

いつか行ってみたいなぁ。