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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大航海時代15-ヴァスコ・ダ・ガマインド到達

2019.07.19 08:12

スペインというライバルが進出してきたポルトガルは巻き返しを計る。すでに、バルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端には到達していた。1495年に父ホアン1世が崩御した後を継いだ幸運王マヌエル1世は、いよいよインドへの到達を旗印とする。その司令官がヴァスコ・ダ・ガマ。

ガマは航海の知識は持っていただろうが、宮廷人で船乗りではない。一説によれば、司令官選定のときにたまたま通りかかっただけという。1497年7月8日、4隻の艦隊でガマはリスボンを出発したが、このときインド王への親書と共に、なんとあの伝説の王プレスター・ジョンへの親書もマジで持っていたという。

12月、艦隊はアフリカを廻り、いよいよ未知の東海岸を航行した。最初のモザンビークでは糧食を買う交渉が難航し、武力で奪取してトンズラ。ケニア東海岸のマリンディで、インド人と接触し、水先案内を得て、翌98年5月20日、インドのカリカットに到着した。

当時のインドはヒンドゥー系小王国が林立しており、ガマは現地王に謁見したが、贈り物が少なく、あまりうまくいかなかった。現地の市場で積み荷を香料などと交換、帰国を申請したが、あまりにも早い帰還が疑心暗鬼を生み、出航を禁止。結局ここでも武力で脱出した。帰りの航路では船2隻を失い、9月にリスボンに帰国。ついに欧州はアジアと航路で繋がったのである。