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お笑いについて

2019.07.21 07:34

ここ数年で、スマホで何もかも済ませるようになった代わりに、

ほとんどテレビを見なくなってしまったのですが、

それでも昔から変わらず見続けてきたのは、ニュース番組でも音楽番組でもなく、お笑い番組でした。

大学生になった時に買った初めての大きな買い物は、

32型の液晶テレビと、ブルーレイレコーダーでした。

お笑いが、テレビが、好きだったので。


毎日が苦痛な時期でも、

当時どんなに自分の感情の正体が分からなくても、

笑いだけは嘘をつきませんでした。



人生を振り返ってみると、


お笑いという世界が私を飲み込んだのは、

小学六年生の時でした。

通っていた学習塾の友人から教えられた「爆笑オンエアバトル」で観た、キャン✕キャンの漫才と、さくらんぼブービーのコントの衝撃は、その後私がお笑いにのめりこんでいくためには十分すぎる一打となりました。


中学生の頃には、GAORAというアナログ衛星放送で放送していた、

吉本興業の若手芸人が中心となったbaseよしもと(1999~2010)という劇場で繰り広げられるネタや番組を見ていました。

その頃劇場に立っていたのは、当時全国的にはまだ無名なサバンナ、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、フットボールアワー、野性爆弾などでした。

当時の私のお笑い好きは、チュートリアルの漫才を一言一句暗唱できたほどだったように思います(苦笑)

ブラックマヨネーズの小杉さんにまだ髪がある時代です。

そして、麒麟、千鳥、笑い飯、NON STYLEという漫才師が新世代として現れてきた時期でもあったと思います。

当時の千鳥の漫才で、野球のアナウンスのネタがあって、

「1番、バッター、○○」というのを100番くらいまで(うろ覚えですが笑)延々とやるというのがあり、

なんて馬鹿馬鹿しいんだと思いながら、

でも腹の底から笑ったのを強烈に記憶しています。


高校生になり、DVDレンタルで「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコント集と「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」での二人トークを食い入るように観ました。

「ごっつ」の中でも「トカゲのおっさん」「兄貴」のコントは特に好きでした。

今でもそうですが、ダウンタウンの笑いにはワードセンスやキャラクターの面白さに加え、

“間”や“沈黙”で笑いを生み出すということがあり、そこに何か美学のようなものさえ感じました。

私が幼少期の時期の番組であるにも関わらず、全く古さを感じませんでした。

お笑いには流行り廃りがありますが、

きっと私は何歳になってもこれらのコントで笑えると思います。


ダウンタウンは漫才もコントもフリートークも面白かった。

私のイメージですが、

コントを極めたウッチャンナンチャンと、

バラエティーを極めたとんねるずとは、

また異質な存在でした。



大学生になり、ブルーレイレコーダーやPS3のtorneを手に入れたので、好きなバラエティ番組を録画して観るようになりました。

当時はろくに大学に行かずアルバイト以外は部屋に引きこもっていたので、今だから言えるのですが、テレビが友だちでした。

ダウンタウンの番組は「ガキ使」と「ごぶごぶ」、今田耕司と東野幸治も好きだったので「やりすぎコージー」「ノブナガ」「あらびき団」、その他にも「アメトーーク」「ロンドンハーツ」「ゴッドタン」「くりぃむナントカ」「にけつッ!!」などなど、

今も続いているものも多いですが、孤独感の強かった時期を埋め合わせてくれた、思い出のある番組たちです。

ラジオを聴くようになったのも大学生になってからです。

松本人志と高須光聖の「放送室」を何周も聴き、そこでは聴覚的な情報のみで笑わせられる新鮮さと、

ラジオならではの放送コードの緩さ、自由さを知りました。

残念なことに、私がネットにアップロードされていた「放送室」を聴くようになった時には既に「放送室」は最終回を迎えていました。

丁度その最終回の放送日は、私が高校生から大学生に変わった頃の、私の誕生日であったことを後から知り、何か運命的なものを感じました。

同じ年に始まったのが、「オードリーのオールナイトニッポン」です。

私は新しい「放送室」をもう聴けないことへの寂しさを埋めるように、

今度はオードリーの二人が創り出すラジオでのお笑いにのめり込んでいきました。


そして、当然の如くお笑いをやっている人たちの人間性に惹かれていき、

千原ジュニアやピース又吉、オードリー若林の書く本を読んでみると、

そこにはお笑い論よりも人間臭さのリアリティ、

お笑いという枠を飛び出して、人間としての面白さがあり、

それは声に出して笑える面白さ(funny)ではなく、

奥深さ(interesting)をも、その頃から感じ始めたのです。


また、お笑いを作っているのはもちろん芸人だけでなく、

演者の影には構成作家・放送作家と呼ばれる人たちがいます。

表舞台には出ずに面白いことを「考える」、0から1を創り出す仕事が視聴者の見えないところにはあります。

元々芸人を目指していたけど作家に転向したというパターンもよくあるようで、

得てして元々はボケ担当・ネタ作り担当であり、内向的な人が多いとどこかで聴いたことがあります。

現在は作家のツチヤタカユキさんは、

NHKの「ケータイ大喜利」という番組でレジェンドまで行った人物です。

“伝説のハガキ職人”でもあり、多くのラジオ番組の大喜利企画で毎日のように彼の投稿が読まれました。

ラジオフリークで彼の名前を知らない人は少ないと思われます。

彼の私小説『笑いのカイブツ』はいろんな意味で衝撃的な一冊です。

私は3年前にこの本を読んだとき、ここまで極端に内向的で、有る意味怖ろしい程の高エネルギーを内面に抱えた人が存在するのかと思いました。

彼は学生時代、1日で大喜利のお題を100個考え、それに対して2000本ボケるという毎日を繰り返していたそうです。

褒め言葉ですが、ちょっとオカシイです。

大喜利界のレジェンドですから、面白いことを考える才能がすごいのは分かりますが、

それ以上に、「1日で2000個の答えを考える」という事自体が何かの大喜利のお題の答えかと思うくらい、既に彼自身が人間としてfunnyでありinterestingだと私には思えてなりませんでした。



このように振り返ると、

私の思春期と青年期の傍らには常にお笑いという文化がありました。

そして笑わせてもらいました。

笑うことの純粋性、それを享受するために何も要求されないことの自由に、救いを感じていました。

お笑いから貰った面白さ(funnyであり

interesting)は、私の人生をjoyfulにしてくれたのです。


そんなことで、

私はお笑いが好きで、

時には感動すらしてきました。


M-1を2003年から毎年欠かさず観ているのは、

漫才を観て笑いたいからという理由以上に、

芸人の涙を見ることができる日だからです。

その日一番面白かった漫才師に「面白い」という勲章が与えられる瞬間は、勝手にこっちもこみあげてくるものがあります。

そして1000万円という賞金は、彼らが一般の会社員として就職して稼げていたかもしれない1000万円とは、全く意味が違うのだと思います。




いつにも増して熱く語っておりますが、

私はお笑いを愛してきたわけです。


なのでやはり、連日の、吉本興業所属の芸人による反社会的グループからの金銭授受の問題の報道を目にして、

哀しみを感じざるを得ません。


それは、芸人が悪いことをしていたということへの悲しみでなく、

「もうあの芸人テレビで見れないのか....」

という感情に他ならないです。

だってこれまでずっと、笑わせてもらってきたのだから。


正直私は、テレビ業界や吉本興業の中で何が起きているのか分かりませんし、

我々には知る由もないのですが、

問題を起こした芸人に復帰してほしいとか、

芸人だから何しても許されるわけでも、闇営業なるものも看過されるべきでも決してないのも分かるのですが、

ただ個人的な感情としてはこれからも観たいのになぁと。


特に今の小~中~高生の世代ではテレビ離れが進んでいることもあり、

なにか今回のことで、

渦中の芸人の関わる番組だけでなく、

今まで自分の好きだったテレビや芸人文化自体が、

もう何年も前からテレビはオワコンだとか一部では言われていましたが、

本当に崩壊していくような感じを受けてしまいました。



問題となっている芸人による先日の謝罪会見を見て、その芸人たちだけでなく多くの関係者がいま頭を悩ませていたり、言いたいことを言えないジレンマの中にいるんだろうなぁと想像しました。

なんというか、私は人間としての芸人に惹かれてきたと書いた割には、

どこかで芸人にはテレビでは笑顔でいてほしいとも思っているのかもしれません。

誤解を恐れずに言えば壮大なコントであってくれと思ってしまうくらい、芸人が笑いをとってはいけない姿は見るというのはやるせないですね。

謝罪会見の後、ダウンタウン松本人志がTwitterで「松本、動きます」と発言し、

21日の「ワイドナショー」で生放送の形を取って、吉本興行と芸人との間に亀裂が走っていることに危機感や悲しみを募らせていることが松本人志、東野幸治の口から語られる事態にまでなっており、

いち視聴者ながら見ていて一体これは何事かと思いました。



また、コンプライアンスが厳しい世の中で、

それ自体は良い悪いということではないのですが、

ある意味、社会常識の縛りの無い世界で発展してきたのがお笑いの文化であると考えると、

もうこの先のお笑いに“ビートたけし”は生まれてこないのではと思ったりすることもあります。


まぁ、もしお笑いという伝統的な文化が死のうが、

面白い人がこの世からいなくなるわけじゃないけれど。



記事の趣旨からはずれる余談ですが、

なんだか最近、芸能界で大きな動きがあるのもそうですが、社会的にも痛ましい大きな事故や事件が続いています。

ふだんニュースに関心の無い自分でも、ちょっと他人事じゃないというくらい大変な事件の連発で、

こんなこと書くのは不謹慎なんだろうけど、

令和に入って、なにか見えない大きな力が飽和した価値観を破壊しにかかっているかのようです.....。



暗くなるニュースも多いからこそ、

お笑いの力はこれからも必要だと思いますけどね。 



ちなみに最近好きな漫才師は、金属バットと昔のチュートリアルです。

(写真:「千原ジュニア40歳LIVE」観覧時  2014.3.30 両国国技館にて)