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「日曜小説」 マンホールの中で 第二章 3

2019.07.27 22:00

「日曜小説」 マンホールの中で

第二章 3

「そんな連中ばかりがはびこる……かあ」

 善之助は改めて思った。そういえば、何となく変な人が増えているという気がしていたが、次郎吉に言われると確かにその通りなのである。

 そういえば、ここに落ちる前も、夕方の街を歩いていたはずである。もちろん善之助には、すれ違った人々の表情は見えないが、しかし、夕方の帰りなのに、そして善之助の若かった時期よりもずっと豊かで便利な世の中のはずなのに、また携帯電話とかメールとか、SNSとか、様々な便利なグッズがあるはずなのに、なぜ人々、それも若者たちは先を急ぐようにしか歩いていないではないか。生き急ぐというような感覚ではない。またそこまでして働かなければ生きていけいないというわけでもない。決して豊かではないかもしれないが、自分の生活は維持できているはずだ。しかし、それでも何かに追われているように、苦しそうに、歩いてゆく人々が、日を追うごとに多くなってきている気がするのである。

「なんだか、多くの人が追われているかのように急いでいるんだよね」

「そうだろ、爺さん。なんだかわからないけれど、今の若者って、ゆとりがないんだよな。正直なところ、あいつらの部屋から何かを盗もうと思えば、奴らは余裕がないから、逆にスキが多くなる。そのスキを突いて入れば簡単に入れてしまうんだよ。昔のカギをかけていない家よりも、今の若者のオートロックとか、ダブルロックとか、警備会社に任せっきりの部屋の方が簡単に入ることができる。でも、盗むものがないんだよ。」

「次郎吉さん、今の家入るのが楽なのかい」

「ああ、簡単だね。ちょっと手間がかかるくらいだよ。昔の家ってのは、カギはかけてないから、家の中に簡単に入ることができる。それに子供多かったから散らかっていて、一つくらい無くなってもなんともないように見えた。しかし、プロの泥棒から見れば、家の中に血が通ってんだよね。たくさんの細胞があって、一見関係無いように見えても、結局すべてが関係があってつながっている。一つなくなっても全体のバランスが崩れる。逆にこっちは一つだけとっても何の役にも立たない、そんな感じだったんだ。」

「確かに、私の若いころや小さいころの家はそんなだったかもしれない」

 善之助は、何となく昔を思い出した。長屋のような家に、小さな部屋がひしめくようにあって、そしてその中に大人の荷物も子供の荷物もなんでも山になっていた。散かっていながら善之助のすでにこの世にはいない母は何がどこにあるかを把握していたし、それがどのようなときに役に立つかわかっていたはずだ。いや、何か足りないものがあっても、他の物で代用するという知恵がたくさんあって、一つの物が何役もするような世の中であったはずだ。だから、散かっているように言えても、すべてが有機的につながっていたのだ。

 ちょうど人間の細胞が何億とある中で、一つの細胞でも傷つけば、全体がその細胞をカバーし、そして、すぐに神経が痛みなどの信号で異常を知らせる。関係がないような場所であったも、それがすべてつながっている、まさに、昔の家の中というのはそんな感じであったはずだ。「血が通っている」そんな表現がちょうどよい、まさに部屋の中も、生活空間もすべてが生きている感じであった。そんな時代がなんとなく懐かしく感じる。

「それがどうだい、今の若者の家は。なんだろう。生きてないんだよね。部屋の中が。変な表現かもしれないけど、血の通っていないロボットの中に、歴越動物が住んでいる感じ。カギは何重にもなっているし、家の中に様々な仕掛けがあって入りにくくなっているかもしれない。しかし、我々からすれば、停電が起きれば一発で終わりだし、生きていないから隣近所との付き合いもない。隣で殺人が起きても気が付かないような奴らだから、当然に何かがなくなっても何日も気が付かないんだ。」

「そんなもんかもしれないな」

「そんなところに住んでいるから、人間としての情がなくなったというか、生きていて何が楽しいのかわからないんじゃないかな。」

 次郎吉はそんなことを言いだした。

 次郎吉の言う通りである。便利になるということは、自分がやらなくてよいということに他ならない。例えば、インターネットで買い物をして、そのものが部屋まで届くということがある。商品を作るとかそういうことは抜きにして、ネットで買い物をするということは、自分が店に行って、選んで、そして財布を開いて、金を払って、お釣りと領収証をもらって、その後買った商品を買い物カバンに入れて、持って帰ってくるという一連の作業を、自宅にいるままで来るということである。しかし、商品が自分で歩いてくるわけではないし、また、金も自動で払ってくれるわけではない。つまり、誰かが選びやすいように、ネットの上に掲載してくれて、自分が登録したクレジットカードの情報を照合し、そして、誰かが商品を代わりに包装し、そして誰かが部屋まで運んできてくれる。その安全性や確実性を担保するために第三者が介在してネットの安全を管理する。そもそもそのようなネットの画面を作らなければならないし、また、そもそもそこにつなげられるような家庭内の通信網を作らなければならない。

 しかし、これだけの作業とこれだけの人手をかけながら、買い物した本人には、最後の宅配便の人くらいしか触れあうことがなく、だれがどのように介在しているかわからないのである。

 もちろん、すべての人がそうというわけではないが、そのようにして「人間が介在しているのに人間が見えない」という状況の場合、買った商品に関しても全く人間味を感じないし愛着がなくなってしまう。一時のブームであるかのように、一時必要になって、その時が過ぎれば忘れ去られてしまう。そんなものが部屋の中にたくさん集まっているだけで、愛着とか、思い出の品とか、人間の情を感じるものがなくなってしまっているのだ。そのうえ、それだけ多くの人に自分の情報が見られている。そのためにセキュリティを強化しなければならないのだが、それもネット上の中のことであって、結局、セキュリティという単語も、いつの間にか情がなくなってしまうことになるのである。

 善之助の若かったころには「ちょっとそこまでいってくるのでお願い」ということや「買いすぎて言えまで運ぶの大変だから手伝って」というような、当然の人間同士の行動が、いつの間にか「便利」という単語の下で、金を生む作業になってしまい、そして、笑顔でコミュニケーションをとって助け合いをしていたことが、なぜか、すべてビジネスになってしまい、そしてコミュニケーションがなくなっているのである。

「次郎吉さん、私が若かったころの、助け合いとか、そういったことは昔は言葉にしなくても当然にやっていたんだよ。それがいつの間にか無くなってしまっていてね。それがすべてビジネスという形になって、金ばっかりかかるようになっていれば、その分働かなければならないから、そりゃ追われたように必死になる」

「そう、今の世の中は便利が選択できるのではなく、便利というか人手をかけるような生き方しかできなくなってしまっている。それが大きな問題なんだよ。ネットを使わないと何もできなくなってしまった。だから、だれがどこで何をしているか、全部明らかになってしまったんだよ。俺たち泥棒とか、日陰で暮らしている人間には、生きにくい世の中になったよな」

 善之助は、ここに来る前に、若者とぶつかったことを思い出した。思いやりがないというよりは、なんだか追われていて、逃げるのに必死で、自分のような人間に目をかけたり助けるような余裕がなくなってしまっているのだ。そのようなことが、自分一人のことで言ってはいけないのかもしれないが、人間味がないというような判断になってしまうという感じである。

 次郎吉は、それが便利になったからであるという。便利になった分だけ人が人の心を失っている。何か本末転倒ではないか。そんな世の中でよいのであろうか。

「それだけじゃないんだ。次郎吉さん。私のような目の見えない人間も住みづらいんだ。結局、見えないことがスマホもパソコンも全く操作ができないし、触って物を確かめることもできない。」

「爺さん、結局建前でいいことを言っていても、結局は、健常者の、それも何かこズルい奴が、今まで人の行為や親切心で行ってきたことを金にしているだけ。そして、その時に広く金を集めるために、障碍者や我々のような日陰の身のものを切り捨てるようになってんだよ。だから犯罪者は、結局社会に戻っても犯罪者にしかなれないし、犯罪をしなければ、食っていくことができないんだよ」

 次郎吉の言葉には自然と熱がこもっていた。善之助はその熱いものを何か感じていた。頭の中で反芻すれば何かが違う気がしないでもないが、しかし、その思いはよくわかるのである。

「そんな、弱者に厳しい便利な世の中をどうしたらいいんだ。少し教えてくれよ。俺みたいな犯罪者でずっと日陰でしか暮らしたことがない人間にはどうしたらいいかわかんないんだよ。」

 次郎吉の訴えに、善之助は頭を絞るしかなかった。