美女は何でもやっている
ある日の朝、空港へ向かった。福岡でAちゃんとお買い物をするためである。食欲をコントロールしている今、物欲だけが私を私らしくしてくれる唯一のものなのだ。
向こうからAちゃんがやってくる。目立つ、なんてもんじゃない。そのとき、空港の空気がさっと変わり、すべての人がそっちの方向を見つめるのだ。
斬新なラッフルフリル袖のブラウスにアーティスティックなプリントを散りばめたスキニーパンツ、そしてツバ広の帽子といういでたちは、息を呑むほどスタイリッシュ。歩き方とかハンドバッグの持ち方もカッコいい。帽子をとると栗色のカールした髪が現れて、小さな小さな顔のまわりをつつんだ。一瞬にして美女オーラがむらむら立ちのぼった。彼女自身がモードでカルチャーなのである。
Aちゃんは信じられないぐらい可愛くて、おまけに九頭身の体型である。その横でよたよたと歩く五頭身の年増が私。本当にリスキーなことである。
初日、お買い物二人組はずんずん進む。Aちゃんはブランドのお店で、東京にはなかったスニーカーを発見して大喜びしていた。もちろん高いものばかり買ったわけではない。古着屋で、私たちはあれこれ試着しまくる。こういうとき、おしゃれ番長のAちゃんがいると本当に心強い。
「ねえ、このパンツおしゃれでしょ。流行ってるわよね」と得意気に語ったところ、「ですけど、トップスとの組み合わせがおばさんっぽいです」とAちゃんの冷たい返事。
“おばさんっぽい”という言葉に、一瞬ぷりぷりした私であるが、すぐに思い直した。ここはむしろ、ああ、ありがたいと感謝しなければならない話だ。
世の中にはおしゃれをしても、誰からも注目されない人がいっぱいいる。私のような年齢になると、はっきり言ってくれる人がいなくなるといったところが普通だろう。それなのに注目してくれた上にアドバイスまでくれたのだ。頭を強く横に振り、合掌した。
人には生まれついてのセンスというものがある。中でもおしゃれなセンスの持ち主の人は、ほんのちょっとの差し色の工夫、コーディネートの妙、流行のつかみ方が天才的だ。
Aちゃんに聞くと、明日着ていくものはハンガーにかけ、それに合わせて靴やアクセサリーを考える。それが至福のときだ、というから驚くではないか。このマメさこそが才能というものである。
この私ときたら、旅行はなるべく荷物を少なくしたい主義。一泊で冬だったりしたら、下着しか持っていかないこともある。夏は着替えのTシャツぐらい。が、今回はAちゃんもいることだしと、二日分のお洋服を持っていった。
しかし私の考えはとても甘かった。Aちゃんは、夜、お食事に行くときお洋服を着替えたのだ。アクセサリーも靴もみーんな変えた。そう、美しい人はそうしなければいけない義務がある。燃えるような赤のワンショルダーワンピースに、髪はすっきりと結い上げて隙ひとつない。星モチーフのヘッドアクセサリーをつけ、ぐっとドレッシーに。自分の個性と美しさを全身で表現したコーディネートだ。
全くAちゃんと旅行をすると目から入る快楽にどっぷり浸れる。SNSの人気ファッショニスタをまのあたりにできるのだ。
そんなわけで、私も夜はオールインワンに着替えた。それは明日着るつもりだったのに。となると、替えのTシャツがないわ。まさか同じものを二回着るわけにいかない。仕方なく私はお土産屋へ行ってTシャツを探した。が、「博多弁Tシャツ」しかない。いちばん地味な白Tシャツを選んだのであるが、背中に「よかろうもん!!」と染め出してある。恥ずかしい…。が、ジャケットを着てごまかすことにしよう。
その夜は和食屋へ行ったのだが、ここでも美女の底力をつくづくと感じた。お店にいた男の人たちが、Aちゃんの方をちらちらと見ている。サービスという名目で次々と料理がテーブルに運ばれてきたのだ。Aちゃんは完璧なボディに似合わず、ものすごく食べてものすごく飲む。どうやってその体型維持をしているのか本当に不思議だ。この日もみんな残さず食べて楽しそう。驚いたことに夜中の〆の山盛りうどんもちゃんと完食した。
Aちゃんは言う「もちろん太ることもあるから、そんなときはスープだけをいただいています」
私は感動してしまう。Aちゃんのような人まで、体重に気をつかっているのだ。ましてや私など、努力してすぎることはない。
さて次の日「ものすごいいい神社をみつけたから」というAちゃんの勧めで、電車で出発し、お昼前に到着したのは天開稲荷社。太宰府天満宮の御本殿の裏にある。急な階段をのぼっていくのだが、その両脇の樹木に新葉の勢いが加わり美しい日本の風景だ。
小さな素朴な神社は、立つだけで体ごと清まっていくみたいである。どこもキレイに掃き清められていて、きっと氏子さんたちが大切にしているだろうな、という感じだ。
「ここはスピリチュアルなパワーがばしばしきてすごいです」Aちゃんの解説が入る。
木漏れ日の中で深呼吸すると、その気持ちいいことといったらない。緑のにおいが濃く鼻をくすぐる。野鳥の鳴き声もチチとはっきりと聞こえてくる。夏の空と心が結ばれるのがわかった。
お茶屋で梅々枝餅をいただいていると、予想どおり大パニックとなった。
今日のAちゃんは、グレーのジャケットに黒いパンツと無彩色の服の中に自分を閉じ込めていたのだが、やはりものすごい目立ち方だ。Aちゃんの声と姿は甘くやさしく、その場にいた子どもと大人を魅了した。「すんごく可愛い」と興奮して一緒に写真を撮っているご婦人もいて、私も思わず見惚れてしまったのである。
やがて男性がやってきてAちゃんにでれでれと喋る。ふつうだったら通りすがりの人と見るだろうが、開眼した私はそうと思えなかった。つい野太い声で注意する博多弁Tシャツの私である。
私は発見した。新しい体験をするということで、人はいかに興奮と歓び、そして活力を得るかということをだ。その思い出もまた、女性を美しくする要素である。美女との旅は私にたくさんのものをくれた。