声が大きい|松浦みる
今日目覚ましをかけずに寝て起きた。
ふっふっふ
先週の日曜まで、かけがえのない舞台に関わらせていただいておりました。
今週からまた、かけがえのない舞台の作品作り集中期間が始まりました。
全然まだわからない!
台本はしっかりあるのだけど目指す形はまだ曖昧です。月曜日の稽古で客観視カメラが働かなかった。わかんない。
でも人と場所に頼ることを『まざまざと夢』で教えてもらったから、自分だけでなんとかしようとせず、たくさん頼ろうと思う。
私はよく声が通るんだな〜と、ふとしたときに気づく。カラオケとか。
幼稚園の頃から演劇やってたから、物心ついたときから声が小さいことがなかった。声が小さい人生を知らない。
調節はしてる。はじめて意識したのは小学校の教科書の音読。声量と、滑舌と、緩急をできるだけ抑えて、しかし真面目にやってる感は残したい少し人より上手いくらいが理想、人前で目立ちすぎず自然に話すことと、覚えたての発声を披露したい欲のバランスに苦労した小学生時代、でもその時も今も、声を出したくても出せない人、人前で上がってしまう人はいて、私はその感覚を完全には知らない。
大きいと思う。見えてる世界はだいぶ違うのかもしれない。話を聞いてもらいたいときにとる行動、注目されたときにとる行動、どんな人が周りに集まっていて、自分の話を聞いてくれる人はどんなタイプで、どんな性格の人なら自分のことを話せるのか、
もしかしたら全く違うかもしれない。
人前で発表する機会はたくさんある。
高校生あたりから、なんか恥ずかしくて発表をしなくなった。
誰かが発表してるときのこちらの聞く態度はお芝居観てもらってるときの態度と全然違くてこわいし、聞き手の反応を上手くスルーできるようになって、思い通りに反応してもらえないことを諦めることで、何度も挑戦し発表が上手くなりこんなに堂々と人前で話せるようになるのだなあと、
日常生活でおもいます。
堂々と発表する人の、聞き手への諦め…!
どうでもいい…?
どうでもいいのかな、もしかして!!
人前に立ったという事実が!
自分が話したかったことを気持ちよく話せさえさえすれば!(いかん悪口)
最後にご静聴ありがとうございましたと言えば!!!(いかんこっちの方が悪口)
悪口なんて大嫌いだ!!滅!!!
抑揚をつけまくってキラキラの笑顔で堂々と喋った弁論大会は特別賞だった。
翌年、声潰して声量半分で誰からとは言わないがオーラがなかったとダメ出された弁論大会は優勝した。ダメかと思ってた。
この人はきっと、声が小さい。