小うるさい東京の私
東京には学生時代から住んでいるけれど、雪深い北海道と、山々に囲まれた山梨で育った私は、ずっとずっと疲れてる。東京の、音の多さに、疲れてる。
かれこれ四半世紀も前の学生時代、中島道義さんの書いた「うるさい日本の私」という本に出会った。どこもかしこも、やかましいアナウンスやらいらないBGMやらで、過剰な音の洪水のなかを人々は平然と歩いている状況なんて、どうかしていると、この本の中で、中島さんはとにかく怒ってる。怒りまくっている。
共感しか覚えなかったなぁ。
同じ頃に読んでいたピカートの「沈黙の世界」。実は今日、この本の存在を思い起こさせていただいた。とある音の専門家へのインタビュー中に、言及されたのだった。なんだか、嬉しくて、涙腺が緩んだ。
沈黙とは、静けさとは、耳をそばだたてる行為とは、本当に、美しいのさ。
BOSEがノイズキャンセリング・ヘッドホンを発売したのはいつだったかしら。けっこう出始めのころに飛びついた。ヘッドフォンも、イヤホンも愛用してきた。
ノイズをキャンセルさせてもらって、小さなボリュームでクラシック・ギターの音楽を満員電車で聴けたりすると、とっても救われる。疲労度に大きな差が出るから、もはや“ノイキャン”は手放せない。
写真は、ノイズキャンセリングの効果が強くなったと話題の、SONYのWH-1000XM3のヘッドフォン。ファームウェアのバージョンアップをしてしまうと、ノイキャン効果が薄れるとかウワサがあるので、私のは古いバージョンのまま。
バスに乗ったとき、自分の乗っている車体の音も、窓の下をすれ違っていく自動車の音も、ほとんど気にならい。ブラームスの交響曲の緩徐楽章を聴いていたのだけど。
ほんとうは、何万円もだして、静けさを買うなんて、おかしいよね、と今日の取材のあとで、担当の編集者さんと話していた。音楽のパッケージを買う以前に、静けさも買わなければいけない時代。
もっと静かに、もっと繊細な音世界の中で、生きていけたらいいのにね。
「沈黙は決して消極的なものではない。沈黙とは単に『語らざること』ではない。沈黙は一つの積極的なもの、一つの充実した世界として独立自存しているものなのである。」(ピカート)