はじめてのはじまり
27年間を生きた。意識と記憶がはっきり出はじめた時から数えても、15年以上は、僕は人間としてこの世で暮らしていることになる。まだまだ若いと言われる歳頃かもしれないけれど、僕にとっては、随分と、色々なことを経験したように思う。
ここにきて、あともうすこしと言うのが正しいかはわからないけれど、初めての始まりを経験することになる。これまでとは、ちょっと違う。
そわそわしたり、自分の頭の中を見つめたり、運動をしたり、怒ったり、悔しかったり、なぜだかすごく可笑しかったり、ワクワクしたり、そういう人間としての作業を「丁寧に」こなしてきたのが、僕の外国に住んだこれまでの1年半だったと思う。日本にいた時は、全く持って、丁寧なんかじゃなかった。
社会の変化にも、どうにかついていきながら、僕は自分の時間だけを止めたかった。何らかの力が背中を押し、スピードが上がっているのかバタバタしているのかわからない状態から抜け出して、後ろに誰もいないことを確認し、一歩一歩、確実に進みたかった。周囲を見ながらも、自分は、自分の道を歩きたかった。そうしないと、僕の人としての時間は、何者かに背中を押されながら進んでいき、気付いた時には、自分で歩くことができなくなっている。そんなことを避けたかった。
ちょっとみんな、黙っておいてくれないか。僕には、僕のスピードがある。
そう思っていた。確かに僕はそう思っていた。だからここにきた。
日本に帰って、「 はじめてのはじまり」が訪れたとき、僕は今猛スピードで進んでいるのか、それともゆっくり進んでいるのか、それがはじめてわかるのだと思う。どちらにしても、僕は今自分の足で進んでいる。だから、それで良いのだ。
ここ1ヶ月の僕は、何も書きたくない病が、(また)発症した。言葉を出すのがもったい気がして、溜め込んでおきたい気がして、指が動かない。日記も、WEBにも、何も書かなかった。もう少しでこの病は、自分で勝手にどこかに行ってしまうような気がしている。
田舎に行った。この国の田舎に行くのは、初めてだった。過去に産業で栄えていた街は、今ではしっかり廃れてしまって、街中に立つ建物からどことなく寂しさが伝わってくる。それでも人々は、笑っていた。これでいいんだ、と。帰りのバスの中、前に座ったカップルはどう見ても薬中で、隣の席に座ったおっさんはドーナツを食べる巨漢だった。窓の外を見ると、夕焼けが沈む瞬間が見える。
太陽以外、何もない。
こんなに綺麗な空を見るのは久しぶりだなと僕が泣きそうになっているとき、目の前の薬中カップルは、オンボロのバスに設置されている機能するはずのないコーヒーメーカーに文句を言い、隣の巨漢は2つ目のドーナツを頬張っていた。世界はこれでいいのだと、そう思った。ひとは、これでいいのだ。
はじめてのはじまりは、もうすぐやってくる。