心
京セラ(旧/京都セラミック)株式会社、KDDI(旧/第二電電)株式会社を創立し、2010年には日本航空(JAL)の会長にも就任した、稲盛和夫氏の新作著書です。(1932年生まれなので)今年(2019年)87歳を迎えられる稲盛氏にとって多くの人に伝えたいことは、「おおむね一つのことしかありません。それは『心がすべてを決めている』ということです。」(プロローグ P13)
稲盛さんは、本書において、今まで以上に「心の持ちようの大切さ」を訴えています。「人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています。。したがって、心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなるのです。」 稲盛さんはよく自らの著作の中で、「人は神様から魂(心)を授かって生まれてくる。そして、自らの人生という修行の場でその魂(心)を磨き、綺麗にして、人生を全うし、神様のもとへ帰るときに、その(人生修行で磨き続つけた)魂(心)を神様にお返しする。」という考えを述べられています。(ですので、本書のどこかにも書かれていましたが、人は生まれた時の魂が一番美しい、というわけではないのです。よく「子供の心は純粋だ」といますが、必ずしもそうではないのです。)
「いかに困難な目標であっても、それに携わる人たちの最大限の意欲と能力を引き出し、不可能を可能にするもの ー それが、『思い』のもつ力である、」と稲盛さんは語ります。「 ” 思い ” とは、心のキャンバスに描き出す考え、ビジョン、夢、希望などといいかえられます。心の働きそのもので、それによって生み出された『意図、もしくは意志』ともいえます。そして、心に描いた ” 思い ” を実現するには、『こうなったらいいな』と漠然と思うだけでは不十分で、『かならずやこうありたい』と、心の奥底からすさまじく思い、揺るぎのない意志をもって絶え間なく思い続ける。そうでなければ、とても実現することはできません。 人間がいまのような高度な文明を築く礎となったのも、心に描いた強烈な『思い』だったといえます。この地球で生を営みはじめたころの原始の人間は、野山や海や川で食料を採取する狩猟生活をしていました。そうした生活をより安定し、安心できるものにするため、私たちの祖先は強い思いを抱き、森を切り開き、田畑を耕して作物をつくるという農耕生活へと生活形態を進化させていきました。そして、さらに便利で豊かな生活を営みたい、という強い ” 思い” を持ち続けることによって、技術を発達させ、いくつもの発明、発見をし、高度な文明を築き上げていったのです。」(P110)
組織の場合も「組織のあり方を決めるのはリーダーの心である。」と稲盛さんは訴えます。「経営の現場で働いていたとき、私がリーダーとしてふさわしい人物かどうか判断する基準としていたのは、どんな ” 心根 ” をもっているか、ということでした。私が推す人物は、頭脳明晰でもなければ、知識が豊富な秀才でもない。素晴らしい人間性を備えていると判断した人でした。いかに才覚にすぐれていようと、「おのれのために」という姿勢が見える野心家の人間は敬遠し、多少鈍なるものをもっていても、謙虚で、勤勉な、人となりのよい人物を押してきました。」
また、「『カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘る』といいますが、組織はそのリーダーの『器』以上のものにはならないものです。なぜなら、その生き方、考え方、また心に抱いている思いがそのまま、組織や集団のあり方を決めていくからです。したがって、リーダーにもっとも大切な資質は何かと問われれば、私は迷いなくそれは ”心” であると答える。あるいは人格、人間性といいかえてもよいかもしれません。(P168)(中略)アメリカのワシントンで開催されたシンポジウムに出席したとき、ある人のスピーチに非常に感銘を受けたことがあります。アメリカの大統領には、きわめて強大な権限が与えられている。例えば、議会が決めたことを拒否できる権限。民主主義において議会の決定事項は最優先されるべきものであるのに、一人大統領だけが、それを拒否できるのです。それほど大きな権限がなぜ大統領に付与されているかといえば、それは『初代大統領であるジョージ・ワシントンがすばらしい人格者であったから』だというのです。徳行備わった君子であったワシントンなればこそ、強大な権力を与えても、それを濫用することなく、国を誤ることもないだろう。そう考えての処置だったそうです。事実、アメリカは意図したとおりの国になりました。もし、任命された大統領がワシントンほどの人格者でなかったら(あるいはワシントン自身がそれほどの人格者でなかったら)、アメリカの独立はあれほどうまくいかなかったでしょう。これはリーダーに必要な資質を考えるうえで、きわめて示唆に富んだ話だといえるでしょう。」(P170)
(うーん、、まったくその通りですね。。実は個人的にこの稲盛さんのリーダー論を読んで真っ先に浮かんだのが、前回本ブログで紹介したスターリンでした。スターリンは、共産主義国、ソ連を立ち上げた初代リーダーというわけではありませんが、(初代リーダーは、レーニン)それでも、第一次、第二次大戦という世界を巻き込んだ嵐の中で、ソ連を率いたリーダーでした。しかし、スターリンは自らの「猜疑心、嫉妬心、独善的な権力欲」で、部下や庶民を支配しました。そして、スターリンは、自らが権力を維持するため「粛清」という名の殺戮を公に行ない、ソ連を拷問や密告が蔓延する「恐怖国家」にしてしまいました。)
稲盛さんに「心こそが人生をつくるもっとも大切なファクターである」ということを教え、稲盛さんが「師」と仰ぐ方の一人が、中村天風さんです。(ただし、師とはいっても、親交があったわけではなく、実際にお会いしたこともなかったそうです。)「おもに書物を読み解きながら、また生前に親交のあった方々を通して、いわば私淑しながらその思想を学び、糧としてきたのです。」(P178)
「中村天風という人は、インドに渡りヨガを極めた哲学者で、その思想と実践法を日本で広めた第一人者です。彼は当時の大蔵省に勤める父親の家庭に生まれますが、生まれつき気性が荒く、手に負えないほどの暴れん坊に育ちます。手に余った父親は、彼を当時の国家主義者の大物であった頭山満のもとに預けます。『お前はもっと暴れられる仕事に就くべきだ』という頭山の勧めもあり、天風は十六歳で陸軍が募集していた軍事探偵となって、当時日露戦争のまっただなかであった大陸へと渡ります。その時、百三十人いた軍事探偵のうち、のちに帰還したのはわずか九人だったといいますから、どれほど過酷な仕事だったかがわかります。天風はそんなすさまじい環境で大暴れをして、まったく恐怖心を感じなかったというのですから、よほど度胸の据わった人間だったのでしょう。ところが、そんな青年が三十前に結核にかかり、すっかり気弱になってしまう。私自身も子供の頃にかかった話は先にしましたが、当時結核というのは不治の病でした。彼はアメリカに渡り、医学部で結核を治すべく勉強しますが、思いのままにならず、ヨーロッパに渡り、高名な心理学者や哲学者のもとを訪ねるが、納得のいく答えは見つからない。失意の中、帰国の途に就きますが、途中立ち寄ったエジプトのカイロのホテルでインドの聖者・カリアッパ師と運命的な出会いを果たします。藁をもすがる思いだった天風はカリアッパ師についてインドに渡り、修行をすることになるのです。そこで悟りを開いた天風は結核も治癒して、日本に戻ってきます。帰国後は銀行の頭取をしたり、さまざまな事業で成功を収めますが、ある時、思うところがあって、すべての地位を捨てて道端で通りすがりの人に向けて、辻説法を始めるのです。心次第で人生は限りなく拓けていく、というのが天風の教えでした。宇宙はどんな人にでも、すばらしい人生が拓けることを保障している。だから、いまどんな境遇にあろうとも、心を明るく保ち、暗い気持ちをもったりマイナスな言葉を口にすることなく、すばらしい未来が訪れることを信じることが大切だ、といいます。『元来とんでもない暴れん坊だった私が、いまはこうしてみなさんの前で人生のあり方を説いています。どんな過去があろうとも、心が変わればどんな人にでもすばらしい人生が拓けてきます。』 そのように訴える天風の説法を聞こうと、やがて大勢の人が集まるようになり、彼の教えを伝えるために『天風会』という組織もできて、その教えはより多くの人に広まっていきました。」(P181)
この中村天風氏については、不思議なエピソードがいろいろ残っていて、その一つが、大企業の炭坑争議です。「その炭坑争議の調整役を買って出た天風は、危険だからと警察が止めるなか、労働者が陣取っている場所に向かって、吊り橋を渡っていきます。炭坑の労働者は、猟銃を持っていて、近づこうとするものならだれ彼なく発砲する勢いです。実際、吊り橋の下から労働者が猟銃を撃ってくる。しかし、天風は平然と吊り橋を渡っていく。吊り橋を渡りきると、外套ににもズボンにも穴が開いているのですが、彼自身は怪我ひとつ負っていない。やがて労働者に取り囲まれると、さらに天風は驚くべき行為をやってのけます。道ばたを数羽の放し飼いの鶏が歩いていた、その鶏に天風が杖でふれると、鶏はぴたりと動かなくなったのです。杖を離したとたん、鶏は再び動き出しました。そんな彼の不思議な力を見て、労働者たちもしだいに敬意を払うようになり、やがて労働争議も収束していきました。」 また、イタリアから有名な猛獣使いが来日したとき、天風が三頭の虎の檻の中に入っても、虎は立っている彼を取り囲んでおとなしくうずくまっていたそうです。「天風はいわば悟りにまでいたった人ですが、そういった境地にある人のまわりには、ふつうではありえないような現象が起こってくる。そうした話はさまざまな方面にあります。」(P183)
稲盛さんも、読書家です。「会社経営者になりたての頃、リーダーとして自分自身が尊敬を集めるにふさわしい人間に成長しなければ、他の社員に『ともにがんばろう』といったところで、その熱意はいっこうに伝わることはない。」と自覚し、自らの人格を高めるため哲学を学ぶ決意をし、読書と勉強に打ち込みます。稲盛さんは本書の中で「自分は大学では化学しか勉強してない専門バカで( 勉強を始めたのは )自分は人より一周も二週も遅かった」と書いています。「しかも、仕事を終えてからの時間の制約のある中での読書は、なかなか思うにまかせない。それでも、哲学や宗教関係の本を枕元にたくさん積んで、どんなに忙しくて疲れた日でも、眠る前にかならず書物を手に取って1ページでも2ページでも読み進めることを続けてきました。そのペースは遅々たるものであっても、全神経を集中して読み、感銘を受けた個所があれば、赤鉛筆で傍線を引き、何度も反芻(はんすう)する。カメの歩みよろしく、一歩ずつながら心を磨き、人間を高める泥臭い努力を続けてきたのです。」(P173)
しかし、そういった日々の「心の修行」を行っていても、毎日の生活で心が濁ることがあるといいます。原因は、(日常生活における仕事や家庭で起こる)「怒り」「欲望」「愚痴」の三つです。仏教ではこれを「三毒」といって心を濁らせ、惑わせる元凶だと説いています。この「三毒」を心から遠ざけるためには、「瞑想でも座禅でもよいのですが、毎日短い時間でもよいので、心を平らかに沈めるひと時を取ることが大事で、それは人生全般を豊かで実りあるものにしてくれる一助となるでしょう。」(P189)
最後になりますが、稲盛さんは、稲盛会という経営塾を長年にわたり主催してこられました。「日本にある会社の99パーセントを占める中小企業の経営者たちにとって、かつての私同様、経営の本質(経営に大切な”心”のあり方)を教えてくれるところはどこにもありません。そんな経営者の人たちに自分の体験、知恵を役立ててもらおうと始めたのが、盛和塾でした。」 しかし、稲盛さんはこの 35年続けてきた盛和会を 今年、2019年 でその活動を終えることに決めたのです。(おそらくご高齢ということもあるかもしれませんね。) 稲盛さんは、これからは「私が善なる動機からお話ししたことを塾生の方々が心の奥底で受け止め、それぞれのステージで実践してくださることを願っている、」と語っています。