自分史・7
教会の世俗化、霊性のなさなどから 日本基督教団伊丹教会での任期切れに伴い クリスチャンワーカーをやめることにしました。キリスト教とお別れすることになった経緯は自分史・6に記しました。
55歳(2001) の時のことでした。
トラウマだらけの和多志の人生の中で 受け取った人生からのプレゼントはキリスト教と心理療法です。ホームページの挨拶にも記したように残された時をヒーリング活動に携わることにしました。
他者の援助をするためには是非とも自分をクリァリングする必要があります。
良い援助者・適切な援助者になるため・スリーインワンコンセプトの手法を使って必死で自己浄化の一人セッションを続けました。
身体に眠る あらゆるスタックポイントを 時間の許す限り外し続けました。
自己浄化と共に始めたのがカウンセリング学習会です。
ヴィジェー(サニヤシン)、中川さん(NLP絡み)、小笠原さん(ケアマネージャー)小宮さん(兵庫県カウンセリング協会絡み) らが開設時のスタッフ候補的なかかわりをしてきました。
ラムサの信奉者・田中ファミリーのところでのスリーインワンコンセプトインストラクター養成コースに参加。ラムサから身を守るようにターコイズを身に着けるようにいわれながらの参加でした。
2001年11月27日に僧帽筋のスタックポイント(デビルチャイルド)を外した時、全身が振るえ、立っていることができないほどでした。直径30㎝くらいの鮮やかなアメジスト色の光と白昼光が輝き(セットで2回、翌日やや鈍いセットの光が1回輝く)基底部からエネルギーが上がり続け、事象の裏にアメジスト色の光が見えるようになりました。
年明けにスリーインワンのインストラクタートレーニングで一緒っだった高橋さん(東大家系で祖父は銀時計??東大以外は学校ではないとの教育を受けて育った。田中ファミリーのところで一緒に受講。元オーム信者。上祐さんから3度シャクティパットを受けた模様。彼との関係で元オーム信者と色々関わる。彼が最初に現れたヴィジョンのパートナー)から妻との関係でセッション依頼。不思議な形で事務所に居候。1年5か月間不思議な関係を続けました。
その間49日間断食(5日間の断水)、心停止を起こし、立ち上がる力もなくなって止めました。
CAP活動終了。
高橋さんは 杉山ファミリー(勝瀬家)の訪問カウンセリングに同行したり、ヴィジェーのグループの参加者中野さん(霊能者家系)を介してケーシー研究家の尾崎さんと出会ったり、東京に同行したり・・・・
内の霊から 敦煌鍾乳洞の話、ミネアコンガの話、北鮮の話、父は銀だという話、パールが弾けると大惨事が起きるという話、火の海に投げ込まれ,希塩酸の雨を呼んでナトリウムの海に溺れた話、ベルロックから甦り、ヒマラヤで想念被膜ランドの虜になった話・・・わけのわからない話を聞き続けることになりました。
以後の流れ概要
私が57歳(2003)の春、高橋さんが家族のもとに帰り、杉山ファミリーとの濃厚な関係が続くことになりました。
聖和大学の講師を辞めることにしました。
その9月、ダンワールドの駅前スタジオオープンのチラシを見て参加。
100日修練。真我発見、イ・スンホン博士(ダンワールド創始者)ニールさんとのジョイントイベントetc.様々な研修プログラムに参加。インサンジャンニム(日本代表)、ダンワールドの優れたスタッフに助けられる。ダンワールドの一生会員登録。マスターヒーラー、指導者訓練を受ける。
59才(2005)の時
マスターヒーラー養成コース第1期、参加。この研修の中で 魂に「私は誰か?」を訊ねるプログラムがありました。和多志の口から出た言葉は「悪魔と闘うためにやってきた神です」でした。この時も激しい嘆きを嘆き続け、「悪魔と闘うためにやってきた神です」を意識に登らせると みんなが振り向くほど激しく嘆き続ける体験をしました。
7月セドナ瞑想旅行で霊体験。コース中、度々霊体験。年末韓国瞑想旅行に参加。ここでも霊体験。
ピルソック委員長から霊気通修練をうけ 霊体験。
PBM(パワーブレインメソッド)ボランティアスタッフ を何度か体験。
夫・脳溢血。
キョンミン(西宮スタジオの初代院長・高橋さんの次にヴィジョンを共にする相手といわれ続けていた)との別れ。
61歳(2007)の5月ひかりの輪設立
ダンワールドの指導者資格取得。そのために1週間の韓国 。その他各種トレーニング受講
62歳(2008)の9月 ひかりの輪訪問
ダンワールドとのヒーリングスタジオ契約
上祐さんと出会う。
最初の印象は 武骨で荒々しい感じ
始めてマントラに触れました。何も感じませんでしたが 内の霊に「唱えてみて」といわれ 弥勒菩薩のマントラを口にすると 涙が溢れて止まらなくなりました。指導員に「大丈夫ですか?」と言われても、涙を止めることができませんでした。
個人面接も受け、いろいろ話しましたが 内容は記憶に残っていません。
一度で終わるつもりでしたが、マントラの体験が引っ掛かり、2度、3度と参加し始めた講和会のある日、ドニパトロ(シンギングボール)が部屋中に置いてありました。 そのドニパトロの間で横になります。一斉にドニパトロが叩かれ始めました。耳元のドニパトロが叩かれると胸が振え、叩けば振え、叩けば振え 、叩けば振るえ!!!
聖音で震顫現象が起き 胸の詰まりが見事に取れました。それは感動的な体験でした。
講和会後は個人懇談。霊現象のために彼と色々話しましたが 芳しい結果は得られませんでした。
そんなとき ドニバトロヒーリングを中心とするミロク法具エンパワメントを受けないかとのお誘いを 大阪道場スタッフからうけ 東京本部で開催される連休セミナーに参加しました。
エンパワメントそのものは心地よいものでしたが その前に広隆寺の弥勒菩薩の動画を見ることになり これも嘆きの体験になりました。
その後 聖地巡礼で広隆寺の弥勒菩薩の参拝を三度経験しましたが、そこで受けとるメッセージはいつも上祐さんに関するものばかりでした。場面は変わりながら三度とも「後ろを向いて夜叉になる」でした。
63歳(2009)
春、自分のオフィスを貸し出して、大阪道場のあるマンションの一室に住み込むことに決定しました。その頃の幸夫さんは 被害者意識に凝り固まり、お金と医者に依存状態。子どもたちも社会人になっていましたから 出ていくことを黙認しました。
ダンワールド解約。解約金、オフィスの貸出料、オフィスの調度品、書籍その他 ひかりの輪に沢山の物的援助をすることになりました。
64歳(2010)
お金の問題から 大阪道場の責任者と衝突することになり、ひかりの輪でヒーリング道場を持ちたいという意向のもとに東京本部に迎えられることになりました。
8月には娘優喜子の結婚。自宅に帰ることなく参列。
65歳(2011)
東京から帰宅、大阪道場在宅スタッフ としてかかわることになる。 3・11大震災。
息子謙吾の結婚。9月に上祐さんと決別。ミクシィ日記参照。
66歳(2012)
チベット密教徒の敬愛するといわれる ミラレパの伝記から 「法の名のもとの無差別殺人」がよしとされていること、オームミラレパの称号を持つ新見氏は、麻原氏に次いでの無差別殺人を犯していること ミラレパが伝説の聖人にすぎないことなどを指摘し、上祐さんの攻撃の矛先を交わすことになりひかりの輪との関わりを3月から再開。
内の魔王と闘うためには必然的な和解でした。
MIXI新アカウント取得 初孫誕生・5月 夏の日、ランの死
67歳(2013)
シーターヒーリング、カモワンタロット、トランスパーソナル心理学、律呂スクールetc受講
上祐さんとの関係を整理するため 南裕さんと会う。
68歳(2014)
4月27日マル・里子。霊現象13年目 Facebookを始める
2017年9月16日71歳の誕生日を迎える。