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中途ハンパーのしわ寄せな日々

伯母の葬儀で考えた終活

2019.07.28 13:23

中途ハンパー梅子です。


続けております。。

朝晩の体重の記録。

健診以外で見るのを避けてきた己の重量と向き合う日々(~_~;)

ストレスゥ〜〜〜


暑さも戻ってきたんだし

汗と共に脂肪が溶け出ていかないかなー


と、空振り台風一過の朝

残酷までにジャバが主張する20代の頃購入した喪服を着て

伯母の葬儀に行きました(長)


84歳だった伯母は

2週間前まで元気だったのですが

風邪から肺炎になり脳梗塞が併発しあっという間に亡くなりました。


1年に1、2回しか会わない人ではあったけれど

いつも自由闊達で元気な人だったので

こんなに急に会えなくなるとは思いもしなかった。


それは子供である従兄弟たちにとっても同様で

亡くなる3日前くらいまで

またいつもの元気な母に戻るだろうと思っていたそうで

今も現実感がないと言っていました。


その伯母が残していたのがエンディングノート。

最近よく聞くとはいえ

まだ遠い話と思って梅子は具体的には知らなかったのですが


伯母はそこに自分の終活について細かく書き記してあったそうです。


延命治療について

どこまで希望してどこから希望しないか


葬儀のこと


お墓のこと


従兄弟たちは話し合って

できる限り母親の希望を叶えると決めたけれど

ただ一つ背いたのが

葬儀をあげるということでした。

但し本当に親しい友人と身内だけ。

そして無宗教で献花のみ。


喪主である従兄弟曰く

孫たちに自分たちの祖母の存在をきちんと覚えておいて欲しいと考えたことが

理由の一つである、と。


きっと母は怒るだろうけれど

許して欲しい、と言ってました。


その他は伯母の遺志通り

香典も花も受け取らない。

婚家の墓に入れない(!)

などなど。


梅子は受付を担当したのですが

何も受け取らないことに対して

粘る参列者の方も少なくなかったです。

事前にお知らせしていても

「他の人と集めたものだから」とか

「気持ちだから受け取って」とか。


でも

「故人の強い遺志なので本当に申し訳ございません」と頭を下げて

持ち帰りをお願いしました。


故人の遺志という言葉で

なんとか理解を得るしかなかったけれど

これでいいのか判断が難しいと実感。


慣例通りすることへの安心感ってあるよなあって。


例えば今回、事前の通達で

「猛暑の予報なので軽装で」とあり

喪主も孫たちも喪服ではなく

シャツとパンツ、とかネイビー系のワンピース、であったりしたのですが

参列者の殆どはブラックフォーマル。

男性は黒いネクタイをしめ

女性はパールのネックレスをしてた。


梅子は前日にユニクロで薄手のワンピースでも買おうかとふらついてたところに

「受付頼む!」と連絡が来たので

冒険なく喪服。

そして当日、多くの人の服装を見て

それで良かった、と思っちゃいました。


セオリー通りって

言い方は悪いけど楽っていうか。


今まで葬儀って

あまりにシステマティックでどうなの?と思う部分もあったけど

何も考えず受け入れていく儀式として

悪くないかも、と感じました。


そしてエンディングノート。


我が両親も

「自分たちも準備しようと思った」と話していましたが

梅子も考え始めなきゃと初めて思った!


結婚していたら

夫婦のうちのどちらかが亡くなっても

残された方でわかる情報があるけど

1人だったら誰もわからないもんね。


老後1人になる可能性が高くなった今

ムスメ達に知らせておきたいこと

知らせなければならないことを

少しづつ整理していく必要があるかも。


葬儀の後の食事の席で

梅子より10歳若い別の従姉妹が

「最近、写真や手紙の整理始めたの

自分が死んだ後こんなに残されても迷惑と思って」

と話すのに驚愕。


まあ終活というより断捨離の一環かもだけど

そういう意識って持ってなかった。


そう、人間いつ死ぬか、なんて分からないもんな〜。


葬儀で伯母の娘である従姉妹が

「自分で何もかも決めていった、

我が母ながらあっぱれ」と挨拶してた。


梅子もムスメ達に

葬儀でそんな風に言ってもらいたい。

(クリスチャンボルタンスキー展にて)