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「宇田川源流 日本万歳!」 震災を忘れないということが政府や政策にまで浸透している日本人の「絆」

2019.07.28 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 震災を忘れないということが政府や政策にまで浸透している日本人の「絆」

 月曜日は「日本万歳!」。これは、普通ならば読み飛ばしてしまうようなことなどを取り上げ、または、場合によっては批判ばかりの内容を取り上げて、その中で日本の素晴らしさを見つけ出して、日本と日本人の素晴らしさを褒め称えるというものである。

今回は「震災」

阪神大震災、東日本大震災など、平成の時代は日本を未曽有の災害が襲った。もちろん平成の御代が悪いというのではない。しかし、ある意味で地球全体に何か大きなことが起きているのではないか。その氷山の一角が、何となく表に出てきているのではないかという気がする場合があるのである。

さて、そのような科学的なまたは宗教的な、または預言者的な話は、別に日本でなくても存在するし、そもそもそこは日本の素晴らしさを何か言うような話ではない。震災に見舞われることが日本の素晴らしさなどと言ってはあまり意味がない。

「日本人の素晴らしさ」とは、その後のことである。つまり「震災が起きてしまった」ということそのものをしっかりと受け止め、そして、そのことを受け入れて次の世のことを考えて動くことができるのが日本人の素晴らしさではないか。つまり、日本人の真の素晴らしさは、「危機に備えること」ではなく「災害や人災が発生した後に、助け合い、そして、その被害を乗り越える力」こそが日本の素晴らしさではないかという気がしてならない。その災害を乗り越える力こそ、日本人の「新たなものを生む力」であり、なおかつ「日本人の死生観」ではないかという気がするのである。

東日本大震災と大規模津波被害、いわゆる「3・11」といわれる時からすでに7年が経過している。しかし、その復興はあまり進んでいない。政治の世界では福島の原子力発電所の事故を見て「福島のものは食べない」などといっている政党が2議席も取ってしまうのである。そのような冷たい心の政党を選ぶ国民が増えたことには非常に残念であるが、しかし、その復興を日本は見捨てた訳ではないのである。

復興庁の後継組織、年内に具体案 「検討進める」と復興相

 渡辺博道復興相は23日の記者会見で、2020年度末が設置期限となっている復興庁の後継組織について「政府として方針を固めた事実はない。被災自治体の要望を踏まえながら、年内に具体的な在り方を示せるよう検討を進めている」と述べた。政府が復興庁を現体制で存続させる方針を固めたとの一部報道を受けた発言。

 菅義偉官房長官も記者会見で同様の見解を示した。

 渡辺氏は「被災自治体の首長や各種団体の要望を聞いた上で、最終的に方向性を決めていきたい」と強調した。

神戸新聞 2019/7/23 12:38

https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201907/0012541096.shtml

 復興庁は、東北地方太平洋沖地震・東日本大震災からの復興を目的として、期間を定めて設置された日本の行政機関である。震災発生から10年となる2021年(令和3年)3月31日までに廃止されることとされている(設置法21条)。引き続き内閣府の外局に移り、担当大臣を必置として、災害復興および新たに防災行政を一元的に担う組織として継続することが閣議決定されている。

そしてこの程、その復興庁の後継組織を年内に具体案を作り、その検討方針を固めるということが最も重要ではないかということになっているのである。つまり、日本国の政府は、福島や災害の復興を全く見捨ててはいないし、また、これに反対する勢力がいないということを意味しているのである。

実際に、まだ復興はできていない。

福島県の原子力発電所に関しては、復興どころか、まだ災害が継続中というか感じがするくらいであり、その中でいかに復旧するかが最大の問題になっているし、また、その中で日本のエネルギーなどに関してはしっかりと見てゆかなければならないのである。そのような「様々な要望を調整する」ということから、復興庁の役割は少なくない。それだけではなく、復興を考える場合に「東日本大震災の復興だけでよいのか」ということが大きな問題になってくる。つまり、その後も熊本の地震や、毎年発生する大雨の被害など、様々な災害が大きく存在し、その災害に関してもすべて、日本人の絆をしっかりとしたものにするために、復興の役割を果たしてゆかなければならない。

日本は、他の国の人々のように、不幸に見舞われた自分の運命を呪い、他人にその責任を押し付けるようなことはしない。震災そのものも、実際には「荒ぶる神」の日本人に対する戒めであると考えており、その神に召された犠牲者を日本人の多くは、「その中で神と一緒に我々を見守る存在」というように考える。そのために災害は大規模な人災、あるいは普通ではない死に方をした人々のところに、「神社」ができ、そして、その神社を祭ることで、同様の被害から守ってくれるというようなことを考えるのである。

まさに、その「神社の発想」つまり「被害者という人間が神になり後の世を守る」という発想そのものが、日本人の心の支えになっている。戦争という被害に対して「靖国神社」という存在が果たしている役割はそのものであり、墓地など個人の内容ではなく「村・町・家族・そして国」を構成する一つの大きな要素として、人間が存在していることが、その根底にある。全知全能の神が作った「人形」ではないのである。

そのような人間の生き方、そして死に方だけではなく、死んだ後のことまで考えることが、本来の復興庁の役割ではないのか。

歴史そのものを否定することはできない。だから、震災で犠牲になった人を生き返らせたり、その人の生前を消し去ることはできない。ましてやその災害がなかったことにするようなこともできないのである。しかし、歴史上であった事実の解釈を後世の人のために考えることはできる。

それこそ、日本人の知恵なのではないか。