福岡市菊池一族所縁の地を巡る旅
菊池を学ぶ会では、毎月一同に会して、勉強会を開催しています。
偶数月は座学、奇数月は遊学
七月は遊学月。
そこで、福岡市内に残る菊池一族所縁の地を巡る事に成り、参加させて頂きました。
⒈ 今津元寇防塁跡
先ず最初に訪れたのは、福岡市西区今宿から迫り出した半島にある今津「元寇防塁跡」
今津町公民館の前にバスを降り、元寇防塁跡へと暴風林の中を行きます。
歩くこと数分、石碑に至る。
足下は砂なので、ウオーキングシューズが良いです。
蚊が普通に生息してるので、対策を考えておくべきでしたね。
防風林の中を歩くのは随分と暫らくぶりでした。以前は福岡市新宮海水浴場に行く機会があったので、当にこんな感じでした。
史跡元寇防塁跡
暴風林の中程に石碑が立っております。
松林は唐津市から博多湾沿い一帯は砂の上に松林が広がっています。
元寇防塁は、ここ今津から香椎浜までの20kmに及ぶそうです。
地元の豪族に指示して作らせた代物です。スゴイ事だと痛感致しました。
元寇とは?
中国の隣国モンゴル帝国は国名を元と改めた。日本へ友好関係?を求めたが、鎌倉幕府は対応しなかった。それで、1274年に元は海を渡って攻めてきた。
大昔から日本、韓国、朝鮮、中国は関係性が深く、度々、侵略の歴史が繰り返されている。
防塁の規模を体感したが「一体どうやって作ってのか!」驚嘆するばかりである。
この時代は菊池一族全盛期が始まる黎明期の頃に当たる。
第十代菊池武房公は菊池から参じて圧勝したと言う。
皇室所蔵の絵巻物「蒙古襲来絵詞と竹崎季長」に菊池氏武士団の姿が描かれている。
中でも武房公の鎧姿は他と比べて絢爛豪華に描かれており、当時の財力を示すものと謂われる。
昨年、熊本市美術館で「蒙古襲来絵詞と竹崎季長展」が開催された。
菊池武房公の鎧姿が注目された。
その現場に来た?ような思いが強く湧いて感慨深い。
コレが元寇防塁跡である!
高さ3m、底部3m.上部2mとある。
使用されている岩?は安山岩、玄武岩が多い。
海辺は柵がありました。
ビーチへ出る間口は数カ所あります。
此の意味は?分からなかった。
海辺を守る為?
防塁跡を守る為?
兎に角、海を見に行くことにした。
なんだかとても窮屈な絵になってしまったけれど…
策の隙間から覗いたビーチは美しかった。
糸島半島の海辺
能古島、志賀島が見えて博多湾沿いの造形美を実感した。
暴風林の中はこんな感じである。
以前の海水浴はこんな所で着替えたり、お弁当食べたり、BBQやったりしました。
それなりにマナーを守っていたのだと思う。
これから、福岡市内六本松の菊池聖社(首塚)へ向かいます。