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文学、ときどき晴れ

2019.07.29 11:30

日々、文学を書いている。

生活の中心は文学を書くことにある。

それでも、自分が何者であるかと問われると、答えに窮(きゅう)してしまうことがある。



昨日、部屋の片付けや昔に書いた小説の整理をしていた。

もう20年以上前に書いた『サンタの日記』や高校時代にはじめて書いた『青空』という小説を読み返し、文章と構成の稚拙さに恥ずかしさを覚えながら、前日に懐かしい時間を過ごしたこともあり、過去を振り返っていた。


土曜日、高校時代の部活動の顧問であり、高校3年生のときに担任であった先生の、定年退職のお祝いの会が催(もよお)された。


高校生活や部活動である剣道、さらにその後の進路などでも大変お世話になった先生であり、一言で言えば感謝しかない。

だが、先生との個人的な思い出は、正直に言うと、あまりない。


高校時代、私は何をするにも疑問を抱いてしまうといった、一種の心の弱さを抱えていた。

家に帰れば仏典と古今東西の哲学書をあさり、ときどき何もかも忘れたくて夜の街を原動機付自転車で暴走していた。

剣道の試合に出させて貰っても、試合の勝ち負けよりも、剣道をするということの意味を問いながら、竹刀を構えていた。

そんな迷刀を振り回していては勝負はままならない。

格下の高校の生徒と竹刀を交えれば無様な試合を展開し、優勝候補である私立高校の生徒には、昔に覚えた先(せん)の妙技がまぐれに発揮されて勝ちを拾ってくる。

私が出場すると試合は毎回、サイコロ遊びをするような不確かなものとなっていた。


同級生が試合に負け指導の情熱のあまり先生にひどく怒られ張り飛ばされていても、私が怒られることはほとんどなかった。

小学2年生から剣道をはじめ、そのまま地域の公立中学校に進み、一つ上の先輩が4回連続で県下一となった中学校の剣道部で主将を引き継ぎ、当然のように誘われた私立高校への剣道推薦を断り、私はその公立の高校に進学した。

部活動は迷うことなく剣道部に入り、はじめは期待もされていたかもしれないが、今思えば、私には先生に剣道を指導をされるほどの、情熱も努力もなかった。


当時の私は剣道を満足にすることどころが、生きるということに迷いを抱いていた。

そのような暗闇の中にあって、私は竹刀ではなく、ペンを握り文章を書くことで生きながらえるようになった。 


思えば、私にとって剣道とは何だったのだろうか。

6歳から毎日のように握った竹刀も、大学を卒業してからはほとんど触れなくなった。

私が15年近く振り回していたものは剣道ではなく、剣道もどきの何かであったのかもしれない。

それを確かめるべく、当時の先生の年齢を越えた今、私は母校の先生を囲む会に、卒業後、23年という年月を噛み締めながら、参加することにした。


月日(つきひ)は残酷にも人を変えさせる、ということはほとんどなく、私の腹ばかりが膨らみ、邂逅は23年という年月を感じさせないものであった。

その会で、数人の同級生や後輩に聞かれたのである。

『今、何をやっているのか』と。

いい大人がプロにもならず売れない小説を23年間書きつづけているというのはとても恥ずかしいことである。

自信を持って小説を書いているとは言えず、給与を貰っているシステムエンジニアという仕事を口にした。

すると、同級生は作家だろう?と笑って言ってくる。

中学や高校時代の知り合いには、私が小説を書いていることはふせていた。

先輩から後輩まで多数いる警察という職業にとって、公安委員会がペンクラブの動向を常に監視するように、作家というのはときに、反社会的な性格を帯びることがある。

私はそれを恐れ、というのは嘘であるが、やはり私は自分の恥を隠すように、自分の弱さをみせられる者にのみ、文章をさらけ出していたのである。

それは長く続く私の弱さであった。

高校の後輩で、1人だけ私の書いたものを読める者がいる。

どのような形であれ、その者が何かしら伝えてくれたのだろう。


そうして先輩、同級生、そして後輩たちと過去を振り返り様々な思い出を語る中で、当時の主将が私には敵わなかったというようなことを口にした。

当時、みなそれぞれさまざなものを抱えながら、稽古をしていた。

それがそのとき各々が持つ最大の力であり、やはり当時、主将のほうが強かったのである。


今なら分かる。

恥を恥として、上達しない文章をそのままにすることは、もっとも恥ずべきことであった。

昔に書いた文章は、確かに稚拙であったが、それはまだ推敲のない言わば努力も何もない生まれたての文章のままである。

下手なら書いて直せばいい。私は恥を隠しその努力を怠っていたのである。


そうして昨日、部屋の掃除のさなかに、卒業時に後輩から寄せられた色紙のメッセージを見つけたのである。


『先輩の綺麗な小手打ちに感動していました』


書いた本人はもう覚えていないだろうそのメッセージを読みながら私は涙し、私も確かにそこにいて、私なりに剣道をしていたのだと納得したのである。