部活の活動時間削減をポジティブに捉えたほうが良いと思うのです
とてもネガティブな記事で、非常に印象を悪くさせていますが、僕個人としては部活の活動時間が削減されることがそれほど悪いこととは思えません。
なぜなら教員への負担軽減は絶対に大切なことですし、それ以上に「長時間練習が上達と比例する」と勘違いしていることが今こそ証明できるからです。
日本人の悪いクセです。ひとつのことだけに長時間集中することこそが成果につながると思い、その思想が集団になったときにそうでない人を叩いてしまう不器用さ。
部活動ですからね、そこに参加している人たちのモチベーション、目的などはみんなバラバラです。それなのに最も頑張っている人が基準になって全員そこについていかなければならない過酷な環境。その先頭に顧問の先生がいると、さらに厄介です。
もちろん音楽の専門家になるのであれば毎日毎日研究が必要になると思いますが、部活動は音大ではありませんから、楽器の楽しさ、人間同士で奏で合う合奏の喜び、授業などでは味わえない特別な経験をすることが目的であり、何もそんなガムシャラに毎日朝から晩まで部活に生活時間を奪われる必要などないと思うのです。体や心を適度に休めて、いろんな勉強もするべきだし、部活以外の友達と遊んだり他に興味のある物事に取り組む経験も中高生の時期は大事です。
その上で、もっと楽器を練習したければ、自分自身で親御さんにお願いしてレッスンに通うなりカラオケや公共施設で練習時間を確保すれば良いのです。
時間がない時間がないと言っている指導者たちは、まずは効率化を考えるべきです。部活動で行っているすべての行為にたいしてもう一度精査して欲しいと思います。
僕が中学生の頃は、マラソンと腹筋トレーニングが管楽器演奏と本気で直結すると思われていて、楽器練習よりもそれらに時間を割かれていました。「呼吸練習」と銘打ってうつぶせになったりあおむけになったり椅子に座って前かがみになったりと、わけのわからないこともたくさんしましたね。呼吸練習って、あなた呼吸の練習しないと呼吸できないんですか?って今なら思えます。そうではなく、呼吸に関する原理、人間がどのように呼吸をしているのかを正確に学び、管楽器を演奏する上ではどのようなことが起きているのかを理解した上で負担のない当然の呼吸で楽器演奏をするためのレクチャーは悪くありませんが、毎日することではありません。
当時は部活の時間がたっぷりあったのでそれでもまだ何とかなったと思いますが、内容としては最低です。中高生だった時の部活動で行っていた「基礎練習」と名付けた一連の内容も、本当に意味がなかったと今ではハッキリ言えます。しかしそこに着目する指導者などいませんでしたから、非効率的な時間だったこともわかりませんでした。
指導者とは音楽の素晴らしさを伝える役目だけでなく、スキルアップのためには具体的にどのようなことをどのような目的と意思で行うのかを的確、明確に伝えられる人でなければなりません。
「時間がない」と口にする指導者は「指導力がない」と言っているのだ、と自覚できる世の中になると、いろいろと改善されそうですね。
公立中学校では冬時間になると授業が終わって放課後学校にいられる時間はほとんどないようです。結果的に部活にかけられる時間は最大でも30分とか。楽器を出して音を出したらすぐ片付けなければならず、練習にならないと聞いたことがありますが、え?じゃあその日はそもそもやらないか、楽器以外での活動をすればいいじゃないかと。
できることなんて山のようにあります。「楽譜を読む」とはどういったことなのかなど、楽譜の理論について学ぶ時間にするとか、素晴らしい様々な演奏を鑑賞して何が素晴らしいと感じさせるのかを研究するとか、体を動かしてリズムを感じるリトミック的なことをするとか、呼吸やタンギングなどを解剖学的な観点からきちんと学ぶとか、何でもできますよね。指導者のスキル次第ですけど。
会社が残業をさせない(できない)ようになってきて、仕事が追いつかないので結局自宅に仕事を持ち帰るなんて聞いたことがありますが、仕事だと業種や立場でどうしようもない時もあるかもしれませんが、部活動ではそんなことありませんよね。
僕はずっと思っているのですが、そもそも部活動の時間が減ったのなら、そのサイズに見合った活動にすれば良くないですか?
楽器の上達は短時間化、効率化してできる部分は多くても、本番回数が多ければそれだけ準備時間が長くなるのは当然です。キャパシティオーバーしているなら参加イベントを減らすか、もしくは曲数を減らせば良いのです。
この記事の最初にリンクした上毛新聞の記事でもインタビューを受けている顧問の先生が「練習量は以前の半分。大会に間に合わせるのが精いっぱい。(以下略)」「一部の大会への参加をやめようかと検討している」と、非常にネガティブに発言している(もしくはネガティブさを漂わせるように記者が記事を書いた可能性がある)わけですが、そんなに悲観的にならず、ひとつの作品やひとつの舞台に対するクオリティを上げて、音楽、吹奏楽、楽器の魅力を十分に感じてもらう、という方向性に転換すれば、決して悪い話じゃないと思います。
大会で結果を残すことが吹奏楽部の最も重要なところと位置付けしている大人にとっては辛いのかもしれませんが、音楽ってそこが軸じゃないですからね、もっと大切な本質的なことを常に視界に入れて、教育現場にいて欲しいと思います。
荻原明(おぎわらあきら)