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一号館一○一教室

本屋物語

2019.07.30 13:49


  天野  歩実

  

  県立高校には落とされてしまった。

だから私は、都内の私立高校に通っている。

なまじ進学校なものだから、毎日課題はどっさり出る。授業は基本的に7時間だし、週のうち半分はその後に小テストだ。

高校に入ったのは勉強をするためだが、その勉強は何のためにするのだろうか?と私は自問自答し始めていた。時は7月、高校生活はまだ1割も消化していないというのに。


  自宅から学校までは、片道1時間半もかかった。

毎朝6時半頃家を出て、授業と小テストを終えた後すぐに学校を出ても、再び自宅を目にするのは17時半過ぎだ。

生まれてからずっと横浜で育ってきた私だが、日常は着実に東京色へと染められつつあった。黄色と灰色が混ざったような、コンクリートの色。横浜はもう少しマシな色のような気がする。


  校章が金の糸で刺繍された水色のシャツに白いニットベスト、紺ベースのチェック柄スカートという制服は、ありそうでいて無い組み合わせだった。

横浜では白いシャツにチェックや無地のプリーツスカートの組み合わせか、伝統あるお嬢様学校のセーラー服が主流だ。

だから私の服装も、目立たないようでいて目立っていた。横浜から東京は、距離にすればさほど遠くない。しかしながら、地元に誇りを持つ横浜市民は近くの学校を選ぶ傾向が強い。


「シャツが水色だよ」

「どこの学校?」


  道行く同年代の女子たちから噂される度、私は肩身が狭く感じていた。

自分の選んだ学校だ。校風は悪くないし、偏差値だってそこそこ高い。それなのに、何故か逃げ出してきたような気分になる。とは言え、逃げ出して向かった先のことすら嫌気が差し始めているのだけれど。


  そんな私の居場所は、本屋だった。

勉強漬けの毎日を送っていると、どうしても苦手分野について自前の参考書で補う場面が出てくる。また、ノートやシャープペンシル等の消費が激しい。これらのことから、本と文具が両方揃うターミナル駅の書店へ寄るのが習慣となった。

勉強の本ばかりを見る訳ではない。

対象年齢や性別から明らかに外れた雑誌を気まぐれに見る時は、生まれ変わったような気がしてワクワクした。特に青年向けコミックは、劇画調べのタッチに引き込まれ時間を忘れて読み込んでしまっていた。細いペン先で描かれる荒い輪郭が、少女漫画にはない躍動感を生み出していた。殺陣などは本当に秀逸だ。

それでは刺激が強すぎるという日は、児童書コーナーに向かう。昔読んだ懐かしい絵本を開くと、小さい頃の優しい思い出や読み聞かせをしてくれた母の声が甦ってくる。筆記用具コーナーで色とりどりのカラーペンを眺めれば、絵が趣味な訳でもないのに自分を表現したくなった。実際には、シャープペンシルと消しゴム、赤ペン、その他はせいぜい青か緑のペン、チェックシートとペアになっている臙脂色のマーカーくらいしか使わないのに。


  本屋では、毎日色々な人が好き勝手に立ち読みをしている。興味の分野は様々だが、みんな紙を綴じた本というものに惹かれているのは確かだ。そこには不思議な一体感があり、日毎かさついていく私の心をふんわりと包んでくれた。


  決して友人がいない訳ではない。お弁当を一緒に食べたり、たまに放課後連れだってカラオケに行く仲間ぐらいはいる。でも、馴染みきれない。基本的には学校の近所から通っている子が多く、入学前から塾で顔馴染みだったという話もよく聞いた。何よりみんな、裕福な家庭で育ってきている。家計が苦しい中、40キロも離れた場所から無理をして通わせて貰っている私とは大違いだ。欲しいものは躊躇せずねだれる彼或いは彼女たちと、まず値段と相談の私。同じ空間にいても、住む世界が違うような気がしていた。


  もしかしたら、彼もそうなのだろうか。

ある程度通い続けていると、本屋でも顔馴染みができてくる。その彼は、とある進学校の制服を着ていた。横浜からだと2時間近くかかるはずだが、全国屈指の進学校だということもあり、さらに遠くの県から新幹線で通う生徒もいると聞いていた。模試で取る点数はともかく、思考の方向性は似ているのかも知れない。私が行く先には彼がよくいたし、私がいる場所に彼がやって来ることも珍しくなかった。お互いに進学校の生徒だから、参考書のコーナーにいることが多い。そして私と同じく1年生であることは、まだ冬服だった5月の半ば、学ランの襟元についている学年章で知った。その日の彼は赤本をめくっていたが、背表紙には「早稲田大学」の文字が躍っていた。丁度私も、担任から「お前は早稲田向きだ」と言われたところだった。だから気になったけれど、いきなり「あのー、すみません」と声をかけるのも気が引ける。でも、話してみたい衝動には駆られた。

「早稲田の英語、ヤバイよね」

とか。

学校の同級生はライバルだ。うかつに志望校の話などはできない。それなら地元の同級生は?と言うと、生活時間帯がずれていて疎遠になりつつあった。

下らない、建設的でないことをつらつらと話して気分転換がしたい。そう切実に思ったのもまた、その日だった。彼が何となく気の合いそうな、真面目そうだけれど影のある雰囲気だったからだろうか。緩い癖のある黒髪と、県立や都立の男子にはまずいないであろう坊っちゃん刈りが印象に残った。


  週に一度は彼の姿を見かける。ただ、6月の半ばに風邪らしき咳をするのを見て以来、しばらくはご無沙汰だった。7月に入ってから漸くまた姿を見せ始めたものの、何となく痩せたような気がする。休んでる暇がないのに風邪引いたら大変だよね、と思いながら彼が立ち読みしている棚を通りすぎようとすると、不意に左側で「プチっ」という音がした。その直後、今度は床の辺りから鈴の音が聞こえた。一瞬何が起きたのか分からなかったが、声をかけられてやっと理解した。


「落としましたよ、鞄についてたやつ」


彼だった。初めて聞いた声は、想像していたよりも低くてよく通った。


「...あっ、ありがとうございます」


「よくいるよね。1年生?」


「そうです」


「あ、ごめんタメ口で。聞くまでもなく知ってたんだけど...その、ちょっと前まで、"1"っていう学年のマークみたいなのつけてたから」


「私も知ってた。その、そっちもつけてたし」


「ああ、あれか。俺中学から今の学校に通ってたから、何の気なしに当たり前のようにつけてた」


少し笑った表情は、年齢よりもだいぶ幼く見えた。


「立ち読みでもしなきゃやってらんねーよな。何がおかしくてあんなバカみたいに証明したり普段使わない言語と格闘したりしてんだろうな」


「その先に何があるんだってね」


「...やっぱ、誰かに聞いてみたくなるか」


ボールチェーンは、一度壊れたらもとに戻せない。チェーンだけどこかで探して買うのも面倒だ。だから、明日からはこのアザラシのぬいぐるみは自宅待機するしかない。でも、一つ切れたことと引き換えに新たな一つの縁が繋がった。


  私が拾い上げたアザラシに、彼はほんの一瞬目を向けた。そして、一つ深呼吸して言った。


「コーヒーでも飲まない?アイスで頼んでお互い頭冷やそう。それと、名前。俺は...」


いじけながらでも、くじけながらでも、毎日懸命に生きていれば神様はご褒美をくれるらしい。

現金なものだけれど、この時だけは「県立高校に落ちて良かった」と心から思った。

1999年夏、今となっては懐かしい思い出だ。


  ...という妄想を、20年後の2019年7月にしてみた。確かに私は秀才フェチであり、進学校に通っていた。しかしながら、このように都合よく男の子と出会った覚えはない。別の経緯で初めてできた彼氏には、僅か2ヶ月でふられてしまった。ここでしくじって以来、私は今も延々としくじり続けている。そして、会社帰りに本屋へ寄る癖が抜けない。もう定期試験や模試の点数を気にする必要はないし、書いて覚えることもしなくていい。それなのに、「対策を練らなければいけない」という強迫観念が残ったままだ。

そして、東京の学校にしか受からなかったから高校の間だけ通おう、と考えていたけれど、就職活動でもやはり東京の会社にしか受からなかった。しかも、通っていた高校の近所だ。呪われているのかとすら思う。

ただ、高校時代に苦労したかいがあって、多少手間のかかる仕事でも計画を立て、調べながら何とか片付けることができる。そしてそれができれば、秀才との会話にも困らない。秀才との恋愛には至っていないが。


  はっきり言って、高校生活はそこまで楽しくなかった。あれだけ勉強ばかりしていたら仕方がなかろう。それでも、数少ない隙間時間に淡い恋愛をし、禁止されていたメイクを施し、スカートのウエストを折り上げて街を歩いた時間は輝いていた。

その格好のまま知的な少女に憧れ、難解な文学作品を立ち読みして数秒で立ち読みしたことも。

この不思議なキラキラフィルターは何なのかと思うが、そのようなことに思いを馳せられるのは、おそらく私が幸せである証拠だろう。


  あの時私がガリ勉になっていたのは、きっと幸せになるためだったのだ。

そういうことにしておく。