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梨の日

映画『アンダー・ユア・ベッド』

2019.07.31 13:35

映画『アンダー・ユア・ベッド』


監督:安里麻里

出演:高良健吾/

西川加奈子/阿部賢一/

三河悠冴/三宅亮輔




R18。

予告編からは興味をそそる変態性。

えろい匂い。


膣キュン若干期待して行ったら、

とんでもなかった。

膣がえぐれるかと思った←




R18描写はしっかりあるし目を見張った。

ロマンポルノよりロマンポルノやん、なんて。



彼、三井くんのあの行動の一連を純粋という言葉が飛び交って評価される。

行き過ぎた純粋性。

人との関わりの話があり、彼には極端に少ない経験だったから、一般的に思えば“異常な“純粋、になったんだろうね。


映画だから?高良健吾くんだから?

や、純粋の言葉を使うのも分かる、けど。


ひん曲がり過ぎてるし。

純粋の言葉の後に、狂気やら純愛の言葉をくっ付けたとしても、なんだか違う気がしてる。

でも私もうっかり今は、純粋としか言葉が出てこない。


もっと、もっと先で、本人にしか持ち得ない感情。

代弁できないほどの興味と執着と好奇心だよ。



壮絶なDVシーンは、人によっては大打撃だろうし。

私も、映画館を出て少し歩いてから胸の奥から何かが込み上げてきた程。


「あぁあ、きっつ、、」

思わず、独り言。

後からくる、鈍痛。



描き過ぎて三井くんの”純粋さ“ってやつが少し濁る。

けど、どうしたって描いておかねばならないんだと思う。

女性の感覚。

いやここでジェンダー的こというものナンセンスですけど、男性監督なら、もっとエロかったような気がする。

いくら襲われていようと脱いでいようと、でもそこにエロはいらない。

綺麗な画だけど綺麗じゃない。


女性的、を引き合いに出すなら、DVシーンは監督自身が受けたら、なんて”共感“が注入されてるのかもしれない。



もちろん監督、人によって違うのは当然だということは前提だけど。


今までの女性監督と男性監督の違いとして、自身の感情移入と客観性が思い浮かぶ。

男性監督の、作品全体を客観視する魅力と。

些細なシーン、1カットに自身の感情を取り込む(入れ込んでしまう)女性監督の感覚と。

極々、極私的で個人的な印象ですが。


酷なシーンが重なることで、感じ取ったり。

良いようにも悪いようにも働く。

でもどちらかに少しでも傾くから、観てる人の個人の経験や感覚で賛否が分かれるし、そこが映画の面白さにもなるんかな。


妙な、張り詰めた緊張感をずっと捉えたもの、カメラマン方も凄い。

だって、焼き付いてるもの。



揺らいでる。

ずっと、ピーンと身体が硬直していようと、揺らぎがずっとある。

まるで水槽の中の魚たちのように。


悪と罪が曖昧。

愛の形も曖昧。

人それぞれ。

あぁきっと私はこの人の物語を、純粋だとか1つの言葉で決め切りたくないんだわ。



犯したことは許されない事。

でも彼女にとっては、悪ではなく正義だった。

でもそれまでの経緯や彼がしてきたことを許せるんだろうか。


”どこかおかしい“”届く花を楽しみにしている“

そう言う彼女の出す答えは、決まってるんだろうな。




出来事はみな濁ってる。

でもどうしてこんなにクリアで澄んでいるように感じるんだろう。


最初と最後の三井くんの顔。

どちらも、幸せを咬み締める?咬み殺す?

彼だから映る表情が、たまらない。

ラストカットなんて、そこをこんなにも切り取ったのは、高良健吾さんに対するリスペクトをゾクゾクと感じたんだな。

素敵だぁ。




映画は、色んな感情を持つ人間を魅せてくれる。

簡単には収まらず説明のしようのない感情と、表情を。


トラウマ注意報な作品。

けどどうしたって、なんだか薦めたくなってしまう。

万人受けはしないけれど。


想像を見事に裏切りぶった切られてきた。





昭和63年、

1週間しかなかった64年、

そして平成。

大人たちが通ってきた教育と、ゆとり教育が途中で始まり急に呑まれた子供時代。

アナログもデジタルも生きてる間でもの凄く濃く感じ取ってきた時代。


曖昧でごちゃ混ぜになった時代の狭間に産まれた30歳。


現代の30歳には、何かが起きてて混沌としているのかもしれない。


自分が言うのもなんだけど。

前々から、学生時代から思ってきたことではあったけど、やっぱり面白い世代なんだな。