カタカムナウタヒ 第五・六首
第五・六首
「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスへシレ カタチサキ ソラニ モロケセ ユヱヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ」
この第五・六首のウタを通して読んでみると、「ヒフミヨイ」は、カムアマ始元量から、「イカツ」(現象の極微粒子)が発生する、サヌキアワ(フト)の「マワリテメグル」の物理を示し、「ムナヤコト」は、その「イカツ」から万物万象(カタチ)が発生(サキ)する、「アウノスベ」の物理を示している。 つまり、「ヒフミヨイ ムナヤコト」は、潜象(カムアマ始元量)から、形態(カタチ)ある現象物が発生する「アウノスベ」の順序を「示す(シ)コトバ(レ)」である。「ソラニ モロケセ ユヱヌオ ヲ」は、そのイカツから、様々の現象の形態(カタチ)に、どのようにして進展するか、という実際の状態(物理)を示すコトバである。
「ヒ・フ・ミのマリがヨ・イのマリとなり、旋転(マワリ)しながら(テ)循環(メグル)し、六方環境(ム)(形成磁場?)から何回も(ナ)(核は七=ナナ)くりかえしくりかえし、極限安定(ヤ)するまで繰り返し(コ)統合(ト)される。 その統合(アウ)が繰り返し発生(ノ)(ノは変遷)する物理(スベ)を示せ(シ)ば、カムの無限のチカラ(カタチ)が微分(サキ)されて、環境(ソ)の場に(ラ)現れ(二)、次々と(モ)凝集連合(ロ)し、多様な変化性(ケ)を発揮(セ)して、もろもろの万象に発現(ユ)する恵みの(ヱ)生命力となり、目にみえぬ(ヌ)、生命体構成の根源(オ)(生命の核(アマナ))のチカラとなる。 このような、環境(ナホ)のチカラ(オカゲ)を以て(ヲ)、万物万象は、正反に(ハ)発生し、成長し繁栄して(エ)行くのであるが、その個々の(ツ)生命の重合(ヰ)の根源(ネ)の大本(ホン)は、カタカムナなのである。」
楢崎皐月氏のカタカムナ説(4) 宇宙を構成する究極粒子「マリ」とは光子のことか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=255825
要するに、我々の生命は、「カタカムナ」から「アウノスベ」によって、発生したものである、というサトリの表明である。
「ヒ」という日本語の基底理念は、「カム無限量(カ)から発した(タ)小さなウヅ(カ)の左マワリ・右マワリ(ハ)の「ヒ」が、「ヒトツ」になったモノ(フト)、それは、すべてのあらゆる(ア)万物万象の起源(カミ)の始元量(ハジマリ)であり、根玄(オホモト)の「ヒ」である」という、カタカムナ人の潜象のサトリの根本を示すものである。
天然(カム)の法則性にもとづく現象界の法則:八(ヤツ)の自然則(カムリ)1)旋転循環性(ヒフミヨイマワリテメグル・ムナヤコト)
2)互換重合性(アウノスヘレシ・トキトコロトコタチ・フトマニのサトリ)
神とは、古神道では(天之御中主神。カタカムナではアマノミナカヌシ。これを基底思念でよめば、カム(潜象)からアマ(現象)に変遷したミのナカの目に見えぬヌシ(主)である。アマノミナカヌシは、神道では「天の中心の最も根本の大神」、科学では「原子核」に当たる。
まカミウツシされる場をつくるスベ。サヌキ、アワが相対してカムと対向することによつて發生の場が出来る、即ち重合(カムウツシ)がオキて、マに發生する。現象のなかに潜象が、現象への過渡の状態で待機している。人の生命のチカラは、カムトアマの共役(フトマニ)のものである。
フトマニ図象は、八十個の渦巻きのうち、 第三首を含む七個の渦の中心に置かれている。この図象符は、フトマニ即ちカミのカとミ(カムとアマ、アワとサヌキ)の対向發生(正反親和)の物理を意味すると思われる。三種の神器の剣となる。 フトマニとは、カムの変遷(ヤタノカ)したアワのチカラ(カ)と、アマに出たサヌキのチカラ(カ)との重合したタマの変遷(ミコト)したミが、現象の生物=イキモノ(生命力と生命体をもつ)として、マ(天然宇宙界)に発生し存在(ニ)するという意味である。
フト(第十一号、カタカムナ文献解読、第三首、P93)にも、カムとアマのフト、そしてアワとサヌキのフトがある。互換重合がうまく(マノスベ)合った時、対向発生(フトマニ)によって、イノチのカが、ヒトツヒトツ発生(トキ)するわけである。思えば、我々は、カタカムナ人のような「ヤタノカ」とか「フトマニ」などという考え方をしたことがなかつた。まして、「マノスベ」などという発想は思いも及ばなかった。
要するにトとは、生命体のアワとサヌキのチカラが、ヤの状態で対向.互換しなければト(チカラの重合)は起きない。トするということはカが発生するということである。サヌキ、アワが相対して、カムと対向することによつて發生の場が出来る、即ち重合(カムウツシ)がオキてマに發生する。現象のなかに潜象が、現象への過渡の状態で待機している。人の生命のチカラは、カムトアマの共役(フトマニ)のものである。「正反対向発生」と解読されているこのコトバ(フトマニ)は、「アマカムの対向発生の連続」(フトタマノミミコト)と同じである。フトマニというコトバは、実際のフトタマノミミコトという生命現象を抽象した物理である。フトタマといえば、アマとカムの重合したマカタマのことであり、フトマニといえば、楢崎皐月が「正.反の対向発生」と訳した通うり、正反はサヌキとアワであるから、電子.原子.細胞レベルの生命活動のフト、生物ぼ男(精子)と女(卵子)のフト、又は人間と花や犬等の動植物や月星ともフトして新しい生命を発生(アマウツシ)することができるわけである。
いわば、神主が神前で拍手をうつのも、右(サヌキ).左(アワ)の掌を重合すれば、まさしく音(ヒビキ)が発生するというフトマニの(則ち、生命は、一個から発生せず、必ず正(サヌキ).反(アワ)が 十(ト)しなければ発生しないというフトマニのサトリの)証である。 カタカムナ人の感受したフ」とは、実際に「生命活動をしている現場のタカミ.カムミの細胞レベルのサヌキ.アワのチカラのこと」であり、マニとは、サヌキ.アワの重合によって「カの生命力がヒトツ発正すること」であるということが、実際の自分の感受のよってハツキリとわかった(よめた)のである。
3)微分統合性(カタチサキ・統計的存在性・イマタチのサトリ)
4)正反対称・歪性(ソラニモロケセ・変化性・不確定性)
5)正反親和・同種反撥性(ソラニモロケセ・マトマリ性・重深性)
6)膨張・収縮・流線(波動性)・結球(粒子性)四相性(ソコソギ シママリ ユヱヌオヲ)7)極限飽和安定性(ハエツヰネホン カタカムナ)
8)分化・変遷・還元・循環性(オホマノワ・環境・相似性)
「カタカムナ」の「カ」とは、人間の能力では、「カム」(無限量)というしか無いが、確かに存在し、潜象のチカラの状態で、左マワリ・右マワリの極微のウヅをまいて、宇宙環境に遍満しているものである。 (中略)実際は、極微のウヅであっても、そのチカラには大・小さまざまの差がある。それ故、その左マワリ・右マワリのチカラ(マリ)が出合えば、チカラの強い方のマワリに巻き込まれ(マキ)、表面は、左(又は右)のマワリを示し、内部に、反対の右(又は左)のマワリを重合したマリになる。(カタチサキ)この、最初に出たマリを、カタカムナ人は「ヒ」とよんだ。「ヒ」とは、最初の「アウノスベ」の示しであり、最初の「フトマニ」である、ということができる。
「アウノスベ」とは、楢崎氏が「正反対向発生・互換重合」と訳した、カタカムナの根本原理である。即ち、正(サヌキ)・反(アワ)のものが相対して向い合う場(トコロ)ができると、カタカムナの重合(ト)(カムウツシ)が発生(トキ)する、という、生命発生のサトリである。 それは、(中略)およそ、原初の宇宙から今日まで続いている、あらゆる現象の発生の物理である。
カムから分かれて(リ)出た(タした)「マリ」は、ヒタリ・ミキリに旋転(マワリテ)しながら、ヒフミヨイと、重合変遷(メグル)を繰り返し、「ムナヤコト」と、六方(ム)環境から、おびただしい数の重合発生を繰り返して(ナ)、ヤ(飽和安定・極限崩壊)に至るまで、重合(フト)の対向発生(コ)が繰り返される(ト)。
その正反対向(フト)重合発生(マニ)のアウノスベの示し(シ)は、次の如く(レ)である。「カタチサキ」とは、カからタして、持続的に(チ)分離(サ)発生(キ)した小さい(チサキ)マリ、即ちカム無限量の左マワリ・右マワリの潜象のウヅからサキした、ヒフミヨイの小さいマリ、ということ。「ソラニモロケセユヱヌオヲ」とは、そのマリが、ソレゾレのその(ソ)場にあらわれ(ラ)て、次々と(モ)(ヨからヤへ)、ワクをつくって連り(ロ)、(織物や編物のメのように)、様々な変化性(ケ)を以て、活性に勢(セ)よく、涌き出してゆく(ユ)。その生命力の授かり(エ)は、目にみえぬ(ヌ)生命体構成(オ)のヌシ(アマナ)である。「モロケセ」は、次々と変遷してゆくチカラの状態であり、現象発生の「ネ」である。「ユヱヌオ」は、現象の生命体を構成し(ユ)、生命力を賦与()の、根源(ネ)の、大もと(ホン)は、「カタカムナ」である、ということである。
この第五・六首のウタを通して読んでみると、「ヒフミヨイ」は、カムアマ始元量から、「イカツ」(現象の極微粒子)が発生する、サヌキアワ(フト)の「マワリテメグル」の物理を示し、「ムナヤコト」は、その「イカツ」から万物万象(カタチ)が発生(サキ)する、「アウノスベ」の物理を示している。 つまり、「ヒフミヨイ ムナヤコト」は、潜象(カムアマ始元量)から、形態(カタチ)