春の嵐7-チェーザレが女傑要塞を征服
2019.08.01 11:21
1499年11月25日、チェーザレの軍は住民達の歓呼に包まれてイーモラ入りした。カテリーナの強圧政治ですっかり民心は離れていた。マキャベリは、防戦を真剣に考えるなら、城壁に金を使うよりも、民心を確保するために使うべきだった、と書いている。要塞には手こずったが、結局は降伏した。
そしていよいよカテリーナの居城フォルリである。彼女にも降伏勧告を出し、年金付の一生を保障すると書いたが、強気な彼女は拒絶した。そこで砲撃が始まった。数日後、カテリーナは堀の前まで出てきて、話し合いたいと誘うので、チェーザレが行こうとすると、彼の目の前で橋が上がった。もう少しで捕虜になるところだった。
しかし金をかけただけはある。要塞は堅固でなかなか落ちず、1カ月も持ちこたえた。それだけあれば外からの援軍が来るはずだが、叔父のイル・モーロは捕えられ、強気な彼女は一族とも疎遠だったし、評判もよくなかった。
翌1500年1月12日、カテリーナは自らも刀を取って戦ったが、部下に裏切られて捕えられた。チェーザレは、この女性を2日間にわたってレイプした、と言われている。その後彼女はローマの修道院に入れられて死去した。なおゲームでは、アサシンがサンタンジェロ城に潜入して、彼女を救い出すことになっている。
下はドラマ「ボルジア家」よりカテリーナ・スフォルツァの雄姿