僕と落語 -1/蒲敏樹
岐阜の田舎の旧家に育った、僕の本棚には漫画がなかった。
いや、あるにはあったが学習漫画の『マンガ日本の歴史』と同じく『マンガ世界の歴史』だった。小学3、4年生ともなれば、友達はみんな漫画を読んでいるのを知っている。だが、それを買うことを家族から禁じられていた僕は、唯一の漫画だったこの2つのシリーズを何度も何度も読み返した。ストーリーも登場人物もいつも一緒。
飽きあきした僕は、同居する叔母の、カビの臭いのする大きな本棚に目を向けた。小学校の教師をしていた叔母は、教師専用の斡旋販売で買ったであろう本を大量にそこに納めていた。百科事典や文学全集、もちろん文字ばかりで漫画など一冊もない。しかし僕は漫画か、漫画に代わる何か面白い読み物がないことには、何ともやりきれなくなっていた。ためつすがめつ本の群れを見ていた僕は、やがて一冊の本を引っ張り出す。
『日本の文学古典編 46 江戸笑話集』である。
古くさい装丁。文学だか古典だかよく分からなかったが、『マンガ日本の歴史』で江戸時代のことはよく知っている。何より「笑話」とある。面白いから笑うんだろうから、漫画の代わりになるかもしらん。
母の厳格な教育の結果、僕は小学生の割には漢字がすこぶる読めた。その上、『江戸笑話集』はごく短編の集成である。スラスラとはいかないまでも着実に読み進めた。
例えば、こういう話がある。
犬に噛まれない為にはどうしたらいいか。ある人が手のひらに「虎」と書いて犬に見せればいい、と言う。それならと早速手のひらに「虎」と大きく書き犬の前へ行って大きく開いて見せると、案に反してガブッと噛まれてしまう。文句を言いに戻ると、一言、「その犬は字が読めなかったんだ。」
要するに笑話とは小噺の事であった。国語の教科書に出てきた吉四六話にも通じるところがある。そういえばテレビで見る「笑点」にも似ている。
くどいようだが、田舎の旧家に育った僕は、「サザエさん」以外のアニメを見る事を禁じられていた。
視聴「可」の番組はNHKのど自慢、相撲、NHK7時のニュース、サザエさん、そして「笑点」である。のど自慢や相撲には全く興味がなくニュースもさっぱり面白くない上、サザエさんはワンパターンで全くつまらない。しかし、祖父の膝の上で見る笑点は面白かった。圓楽さんが司会でニヒルな小遊三さん、ほのぼの好楽さんにラーメンの木久蔵さん。歌丸さんと楽太郎さんの小競り合い。「チャッラーン!」のこん平さんと、座布団運びの山田君。
職人気質で口数が少なくあまり笑わなかった祖父が、膝に座った僕の頭の上に鼻息を吹きかけながら笑っていた。
あの大喜利のコーナーの頓智の効いたやり取りが「笑話集」との共通点だった。
ただし、この時点ではまだ僕は落語を知らない。落語家とは「大喜利」をする職業だと思っていたのだ。
時間に正確だった、祖父がテレビの電源を入れるのは、「笑点」の中でも大喜利のコーナーが始まる時間ピッタシだったのが原因である。
そういえば、圓楽さんは毎週「大喜利のコーナーです。」と言っていたのに。
大喜利の前に口上と、演芸のコーナーがあって演芸のコーナーでは落語や漫才、マジックなどが放送されているのを知ったのは、恥ずかしながら小学校ももう高学年になってからであった。
蒲 敏樹
1978年岐阜生まれ、2010年より小豆島。
波花堂塩屋&猟師&百姓。