24時間テレビ『盲目のヨシノリ先生』
に、小瀧望くんが出てました~~
声もいいし演技も良いしまさかのパパ役頑張ってた!
内容も24時間テレビのSPドラマの中では終わり方が爽やかで、障がいを超えた「生き方」の話を中心にしていて良かったなと思いました!
撮り直しもあった中スタッフの方々も大変だったと思いますが、お疲れ様でした。
しかしなあ~~24時間テレビの構成や演出は私、好きではないんです(^_^;)
前にもちらっと書いたことあるんですけど、友だちに障がいのある子が数人いたり、お仕事の関係で障がいがあったり闘病中の方とたくさん関わることがあるんですね。
だから「こんな言い方今しないし…」とか、「それは違うでしょ」とか。細かいことが気になる(笑)
毎年パーソナリティやってるジャニーズのファンですけど、早く終わればいいのにと思ってた時もあったり(笑)
というのも、必要以上にシリアスで物悲しい、暗い演出があるのがとっても苦手。
さいきんは少しずつ変わってきたのかな~と思うんですけど、いまだに「泣ける」「感動」を相変わらずウリにしてるみたいでね。
もちろん、大変な思いをした方、悲しいことがあった方、いますけど。描き方として、「不幸だとは思わなかった」って言ってるのに「不幸」ってテロップ出したりね
あれ話聞いてた??ってことが何度かありました。
ただ、最近「終わればいい」とは思わなくなったのは、こういう番組でもなければじっさいに目を向けてもらう機会は減ってしまうのかな、と思うからで。
例えばNHKでバリバラって番組あるんですけど(そして今日まさに「障がい者」と「感動」についてのテーマで生放送(笑)攻めてます)、そういう番組ってまず興味がないとなかなか見ることもないかなと。
毎年繰り返しで24時間やってたら、何かしらのタイミングで目にすることもあるだろうしね。
だから、番組の存在自体は大切なのかもと思うようになりました。
でも、今後も続けていくなら、チャリティの形を考え直してほしいし、マラソンの必要性とか、番組内で使われる話題や言葉も勉強し直してほしいです。
例えば「障害を持つ」って言葉、よく聞くと思うんですけど、今はもうあまり使われません。
というのも、「障害」というものは、「個人が保有するものではない」という考えがなされるようになったからです。
「ダウン症」とか「脳性麻痺」とかは、病気や症状、状態を表す言葉であって、それ自体が障害ではありません。
その病気などによって「○○することが難しい」といったことが「障害」なんです。最近の考え方だと。
例えば、私は視力が悪いです。コンタクトか眼鏡がなかったら、いつも通りの日常生活を送るのはたぶん難しいです。
そういう意味では私も「見ることに障害がある」のです。
というわけでさいきんは「障害を持つ」ではなく「障害がある」という表現がされます。
あとは、ドキュメント。
物悲しいナレーション、「絶望」「不幸」のテロップ。
わかりますよ~~どん底からの希望、感動を呼びますよね。
でもさ、何が伝えたいんだろう?
やっぱ病気とか障害って大変だな、かわいそうだな、そういうこと?
もちろんそういう側面もあるし、当事者にそういう思いのある方もいるでしょうが、もうちょい最初から明るくできないか?と。
だってこんだけ文明が発達したり医療が発達したいま、実は病気とか障害って益々他人事じゃないんですよ??
なのに不安を煽ったり同情を買ったり、それも大切かもしれないけど、どうせならこの機会にしか伝えられないこと伝えなよと思っちゃいます。
障害があっても、ジャニーズ好きだったりお笑い好きだったり、スポーツ好きだったり料理好きだったり、大変な経験をした分なのか比較的いい子が多いとは思うけど性格悪い子もいるし(笑)、いいことも文句も言うし、まじでうちらと全然変わらんよ?って思う
時代に合わせて24時間テレビも変えていくべきだと思うんだけど。続けるなら。
なんでこんな熱いかというと、このまま続くならジャニーズWESTちゃんたちもパーソナリティやることになるかもしれないからです(笑)
我が軍に神妙な面持ちでカンペ通りの言葉読まれて、何回泣いたとか数えられると思ったらマジやめてくれと思うんですよー(笑)
後日いじられがちな何回泣いたとか泣きすぎとかなんやねんあれ
我が軍には超絶あっかるい大笑いできるような24時間テレビやってほしいわー
楽しいバラエティの方が募金する気になるの私だけ?(笑)
いまの24時間テレビじゃ益々「障害者」と「健常者」みたいな立場パッキリ分かれさせられる気がするわ~~
そんな両者に線引きとかないからね(笑)
すいませんうるさくて(笑)
タイトルからだいぶ飛躍した(笑)