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Na'ilah Al'Muslima®

イラク人母の来歴紹介

2019.08.04 06:19

アッサラ-ムアレイコム!

السلام عليكم


横浜からこんにちは!🧕

日本×イラクのハーフ

第二世代日本人イスラム教徒

方向性見失いがちの凡人ムスリムYOTUBER

【NEW】WEBデザイナー

【NEW】メイクアップアーティスト

肩書きが異常に多いこの私

ダルウィーシュ奈菜こと「だるちゃん」だよ。✌️


再来の方はいつもありがとう!

初めての方はWELCOME・初めまして!


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ブログを読み返してみて気付いたのだが、ハーフだと公言しているにも関わらず、

全くイラク側のことや親のことや私自身の海外経験について触れていない!(やっとw)

なので、これからはコツコツ書こうと思う。


ということで早速のお題、

まずはイラク側の母について語るよ!


というか、実はこの記事は2~3週間前には既に書いた記事だったの…(笑)


ただ内容が強烈かもしれず、みんな引くかな?と迷いに迷ってリライトしながら慎重に考えてやっと皆さんにお見せできる決意ができて今日に至る…。


それではいざ!


🇮🇶実は母はイラク人ではない?

私自身は日本人とイラク人のハーフと話しているが、実は母のルーツはそんなにシンプルではない。


母も国籍はイラクであっても、父がイラク人(祖父)、母シリア人(祖母)のハーフである。


祖父がイラク人なので母はイラク国籍として生まれたが、

生まれも育ちもシリアのダマスカスなので、母がアラビア語を話せば誰もがすぐシリア人と分かるほどかなりシリア人らしい。


でも祖母(母の母)もまた100%シリア人ではない。

私の曽祖母、母の祖母はトルコ人であり、母の祖父はクルド系のシリア人だった。

だから厳密にルーツの話をすると母の場合、ハーフとは言い難い…。

そうなると当然私もきっかりハーフとはいえないのだが、国籍だけならハーフなのでハーフと公言している。


母の話に戻るが、ハーフと言っても、

アラブ人であることは変わりはないでしょ!と思う人はいるだろう。

だが意外にも多くの人が知らないようだが、

同じアラブ人であっても国によっては言葉も食べ物も習慣や文化も全く違うのである。


例えて言うなら、アメリカとイギリスのような感じだ。

同じ英語でも発音やイントネーション、使う言葉まで違う。(英米のように綴りまで違うということはさすがにないが)


👩🏻‍🦰幼い頃の母

母の場合、生まれも育ちもシリアなので、国籍がイラク人であってもイラク人らしいところはあまりない。


それなのに、シリアに住んでいた時は外国人扱いされ、いじめられていたようだ。(これは移民大国以外では世界共通なのか?)

彼女自身も私と似たような経験をしているのだ。


中身はめちゃくちゃシリア人なのにシリアでは外国人扱いされ、

イラクにいてもイラク人らしくない、まるっきりシリア人ではないかと言われる。


どちらの人間でもない、無所属みたいな。


母自身幼少時代は、自分が外国人とは知らず、

父親や兄の肌の色が暗めであることや、外国人と呼ばれることを理解できずとても困惑した。

後に小学校高学年になってから父親からイラク人であると聞かされた時は、自分がシリア国籍でないという事実にあまりにもショックを受けた。


私の父が生前ある言葉を気に入っていてよく使っていたのが「Identity Crisis」(自己認識の危機)というワードだったのだが、母はまさにその状態に陥っていたのであろう。

自分が何者なのかわからない。

これはハーフが陥りやすい現象とおなじのように思う。


👰🏻シリアの女性は若く結婚する

母が父と結婚したのは19歳の頃である。

2人の年齢差は6年、若いお嫁さんを貰った父は随分と冷やかされたようだ。

19歳ということは大学二年生くらいだろうか。

シリアではこの年齢は遅い方である。


今ではわからないが、母の世代でシリアでは、

女の子はとにかくとても早い年齢で結婚することが一般的だったようだ。

(所謂未成年の結婚、児童婚である)


理由としては、間違いを起こす前に手を打つ手段、行き遅れてしまわないため、経済的負担を早く軽くするため、娘の方が早く家を出たくて早く結婚したがる、と様々だ。


私が知る限りでは、特にシリアは女性の結婚年齢がとても低いように感じた。

母の姉二人(1人は異母姉妹)は17歳、母の従姉妹1人は16歳、最年少の他1人は14歳である。

因みに母の従姉妹は16歳の時にと書いたが、この従姉妹は私より4歳下である。

私が20歳くらいの時に結婚した。

2019年現在では違っているかもしれない。

今では大学を卒業してから、あるいは就職をしてから結婚するケースが増えているかもしれない。


因みにイラクも結婚年齢は低いのか?

夫から聞いた限りでは一般的に高校や大学を卒業してから結婚するケースが多いようだ。

就職もせずすぐ結婚するならなんの為に大学に行くんだと夫に聞くと、夫の回答はこうだった。

『 女性が教養を持つことはとても重要視されている。なぜなら子供を育てるのは主に母親だからだ。
それに、国立の大学であれば学費は無料なので入れるなら入っておいても損はしない。』


なるほど、ある意味納得だ。


シリアで育った母はなぜ結婚した時期が比較的遅めだったのか。

実は母には結婚願望はなく、一切する気もなかったのだという。


👜目標は結婚ではなく「自立」

母は幼い頃から男性が優位に立ち支配する社会に疑問と不満を抱いていた。


自分の兄たち含め、『男』を母は憎んでいた。


いつも自分と姉より兄たちが何でも優先され、欲しいものを手に入れ、揉めても何故か兄たちはお咎めなしで自分がいつも怒られ、殴られた。

伯母である姉はとても要領がよく、逆らいもせず従ったが、母は正義感があり常に公平性を求めていたからか強く反発した。

それがかえって「女のくせに生意気な」と手を挙げられた。

母はひどい暴力の中で育ったせいか、私は(思春期になるまで)怒られたことも手を挙げられたこともなかった。


母は結婚したくもなかったし、かといっていつまでも親の世話になるのも嫌だった。

だがお世話になっていると経済的負担から無理やり結婚させられる懸念があった。

そこで彼女は17歳の時に高校を中退し(元々語学以外勉強苦手で卒業できるかも怪しかった)、結婚せずに働いて経済的に自立する決意をしたのだ。


母は高校入学のタイミングでイラクに帰国していたので、イラクで就職活動を始めた。


この時イラクは今では想像できないほど経済的にとても豊かで、なんと現地通貨の1ディナールが3米ドルほど当時は現地通貨が強かったのだ。

そのため今のドバイと同じように多くの海外企業が進出していた。

その中には日本企業も沢山あった。


母はフランス語(シリアでは義務教育としてカリキュラムに入っていた)が話せることと英語が少し話せることを武器に就職活動をした。

日本の企業でポストがあったので、そこに応募した。

この時、母は初めて父に会ったのだ。


キリがいいし、今日はここまで!

次回は2人の馴れ初めについて書くよ!


それでは祝福された1日を!👋

ワ-アレイコムアッサラ-ム! 

وعليكم السلام


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