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真夜中の古着屋「FIFTH GENERAL STORE」

2016.03.30 10:00

「“ていねいな暮らし”とか、マジで言ってんのかなって思うよね」

時刻は夜の10時を回っていた。中目黒にある古着屋「FIFTH GENERAL STORE」を訪れた僕は、書籍棚で見つけた Larry Clark の写真集を見ながら、オーナーの高田さんと少しだけ話し込んでいた。

高田さんは閉店の準備をしながら「別にいいんじゃない。それもファッションなんだから」と興味なく答えた。

この日は、中目黒でライフスタイル系の編集者たちとの会合があり、これからのライフスタイルがどうなるとか、メディアがどうなるとか、そんなことを真剣に語りあっていた。といっても、僕はそういう話がどうも苦手らしく、ひたすら人間観察をしながらテキトーに話を合わせていた。


「シンプルライフ」や「ていねいな暮らし」はこれからの生き方だ。


感度の高い人たちはそう口をそろえる。まあ、感度の悪い僕のアンテナでは、その言葉から感じ取れるのは、小学校の道徳教育のような不気味さだけでしかなかった。

「そういえば、ファッションの世界でも“ノームコア”ってのが流行ってたよね?」と僕は高田さんに尋ねてみた。「あれって、やっぱイケてるの?」

「まあ、すでに飽きられてはいるよね」彼は closed の看板を外に向けると、「あまり偉そうなことは言えないけど」と謙遜しながらも、ファッションカルチャーについて少しだけ話をしてくれた。

「1920年や30年代ごろに、偏屈なおじさんたちが『ファッションというのは記号性だ』とかいってる本があるけど、そういう本を読んでると、まあ、なんでもそうなんだけど、流行というのは必ずひっくり返る性質を持っているんだ。

アンチファッションがファッションになったり、汚いグランジがファッションになったり。ノームコアって言葉自体もあいまいだけど、いま流行ってるものはいつかは逆転すると思う。

俺はずっと古着を扱ってるけど、昔は大量生産以前の古着がいいといわれていた。でも、最近ではそういう偏った価値観自体がダサいみたいなところはあるね」

僕はこの店がすごく気に入っている。

その理由は、オーナーの人柄もそうだが、ここが古着屋っぽくないところにある。店のつくりはシンプル。ディスプレイには余白があり、品数もかなり絞られている。神経質なまでに等間隔に並んだ服を見ていると、ここが古着屋だということすら忘れてしまう。

もうひとつ好きな理由をあげるなら、ここの古着には店のスタッフたちの手によって、8割以上のものに直しが入っていることだ。

それは日本人の体形にフィットさせるためだけでなく、501のジーパンを絶妙にテーパードさせていたり、XLサイズのTシャツの丈を詰め、あえてドロップショルダー仕様にしていたりと、店独自の着こなし方を提案していたりする。

「なんで、そういうアレンジをやろうと思ったの?」僕は高田さんに聞いてみた。

「なんでかって? まあ、かっこ悪いからじゃない」彼はいつもこういう答え方をする。

「そういうのって、古着の世界では邪道とか言われない?」

「もしかしたらあるかもしれないけど、まあ、俺には関係ないよね」彼はそういって笑ってみせた。

オーナーの高田さんは、20代の頃から車で全米を横断しながら古着やアンティーク家具を日本に卸していた人物だ。海外にいたときの話を聞いていると、この店に漂っている飾り気のない“DIY精神”は、そのときの経験が影響していることがよくわかる。

しかし、彼は日本にポートランドやブルックリンのような“DIY精神”を根付かせるのは難しいという。なぜそう思うのだろうか? 彼はアメリカでの暮らしを思い出しながら、日本人とアメリカ人の決定的な違いについて、このように話してくれた。

「アメリカ人って、本当に自分たちでなんでもやる。ポートランドに行っても、本当にいろんなものを手作りしてるし、普通の生活の中にDIYという文化が深く関わっている。あれはすごくアメリカ人らしい考え方だと思う。

なぜ、アメリカにはそういう文化があるのか? 勝手な仮説をいえば、それはアメリカが“小さな政府”だからかもしれない。西部劇なんかもそうだけど、自分たちのテリトリーは自分たちで守るという考えが、いまでも無意識で残っていたりする。それは国土が広いことも関係しているんだろうね。

一方で、日本人は自分のまわりのことを他人に任せる傾向がある。車がパンクすれば修理を呼ぶし、ドアの建て付けが悪くなれば業者に修理を頼む。問題が起きれば警察を呼び、仕事がなくなれば誰かのせいにする。逆をいえば、だからこそ日本は治安もいいし、便利な国という考え方もある。

俺はどちらがいいとか悪いとかいうつもりはなくて、ここで言いたいのは、アメリカ人が昔から持っている『自分の身は自分で守る』という考えこそが『自分のことは自分でやる』というDIY精神につながっていると思うんだ」

4年前にオープンしたこの店は、高田さんの気分が変わるたびに、壁を塗りなおしたり、床をはがしたりと、いまでも手を加え続けている。

「テキサスのアンティーク屋で200ドルで買った」という巨大カウンターは、数十万円かけて日本にまで運んだ自慢のものだ。

店に置いてある古着やアクセサリーは、ドイツやスウェーデンなど、ヨーロッパから買い付けたものが多い。その理由について、高田さんは「アメリカものは、みんなが見慣れているから」と教えてくれた。


「アメリカ、イギリス、オーストラリアは、言語が共通だからカルチャーも似ている。でも、フランスに行くとやっぱ違うし、ドイツに行くとまた違う。ファッション文化の違いを、言語で分けてみると結構おもしろかったりするよ」

あらゆるカルチャーに造詣が深い高田さん。彼との会話はいつも発見があり、ときどき興味深い気づきを与えてくれる。

残念ながら、僕はファッションに関して疎く、お世辞にもセンスがいいとはいえない。自分の身なりにはあまり興味がないし、いつも必要最低限の服を買って、毎日同じ服を着て過ごしている。ところが、彼の話によれば、そんな僕ですらファッション文脈から見れば、いまの時代のファッションを無意識に体現しているという。


「俺から見ると、みんな服が好きじゃないといっても、どこかで飲み込まれているように見えるけどね」そう話し始めた高田さんは、手もとにあったロシアの写真集をみながらこのように続けた。

「こういう写真集を見ると、撮影された年代もわかるし、田舎なのか、都会なのか、どういう国なのかもわかる。服って、多少なりに、そのときの時代や価値観を表しているものだと思う。

ファッションって、ものすごく気まぐれで、とらえどころがなくて、何だかよくわからないものだけど、一度流行し始めれば、みんなが持っているものを無性に欲しくなったりする。

でも、Apple製品なんかとは違って、値段が高くても安くても、服である以上、機能面ではそれほど違いはないんだ。極端にいえば、服なんて布と糸だけで構成されている。そういうところも含めると、ファッションってのは本当に面白いものだと思うよね」

ちょっとだけ挨拶して帰るつもりが、すっかりと話し込んでしまった。僕が高田さんに別れを告げたとき、時計の針はすでに夜11時を過ぎていた。

店を出ると、心地いい夜風が吹いていた。僕はそのまま家に帰るのが惜しくなり、近くにあるバーに少しだけ立ち寄ることにした。

高田さんから聞いたファッションの話は、とても興味深かった。

ファッションという言葉をそのまま“流行”に置き換えるならば、人々が次々と流行を生みだし消費していく様は、分子生物学者の福岡伸一が提示する“動的平衡”の話を思い出させた。


“秩序が守られるためには、絶え間なく壊されなければならない”


物理学の常識として、宇宙は秩序から無秩序の方向へ進む。この「エントロピー増大の法則」に抗うためには、生物は自らの細胞を積極的に破壊しながら、同時に壮絶なスピードで新しい細胞をつくりださなければならない。川はいつもそこにあるように見えるが、流れている水は一度として同じではないということだ。

変化することを恐れながらも、自らを変化させることでしか生存できない。人間は、この世に不変なものが何ひとつないことを、無意識で理解しているのかもしれない。


店のスピーカーからは Elliott Smith の曲が流れていた。僕はそこまで考えたタイミングで思考の糸をぷつりと断ち切り、彼の歌声に耳を傾けることにした。


“いつの日か、彼の歌声に何も感じなくなる日が来るかもしれない”


そう考えると、いまこの瞬間がとてつもなく大切な時間のように感じられた。


photographer : 井上 圭佑 / KEISUKE INOUE